聖書に以下の事を学ぶ。
「私たちは四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打倒されても滅ぼされない。」
キリスト教で最初に布教した12使徒は壮絶な殉教をした。12人のうち唯一天寿を全うしたのはヨハネだけだったと言われる。参考までに他の11人がどんな死に方をしたかというと次の通りだ。
どれもこれもロクな死に方をしていないが、こういう彼らの殉教という礎の下にキリスト教が世界宗教となったことは確かだ。むろんイエスの十字架刑も含めて。自分であれば、こんな目にあって布教する気になるかというと絶対にならない。命の方が惜しい。普通の人でいた方がどんなに楽かと思う。しかし彼らは信念をもってやり遂げたのだ。
人間死なない限りはどんな挑戦でもできる。起業だってどんなに失敗しようが、命が取られるわけではない。毎月支払いの時期になると、胃がキリキリすることもあるが、それだからと言って死ぬわけではない。もとい、自分が十二指腸ガンか胃がんで死んだら、このせいかもしれない。
起業して最初の頃は、さすがに腎臓を売れ、とまでは言われたことはないまでも、色々な人から罵られたこともある。特に親からは、さっさとまともな会社に就職しなさいくらいは当たり前のように言われる。さっさと就職して給料で返せ、ともお金を借りた人から言われることもある。気にしすぎかもしれないが、家にこもって必死こいていると、田舎では単なる引きこもりにしか思われず、今仕事していないオッサン呼ばわりもされているかもしれない。いい年して何やってんのとも言われる。
しかし、命まで取られるわけじゃないし、信念もってやっているから、ここまで来られた。
まさに、最初の文章のような状態に陥ってからが、起業家としての勝負だと言える。まだまだこの境地に至っていない起業家は甘ちゃんだということだ。あるいは大したことをやっていないともいえる。最初のビジネスなんて、新興宗教みたいなものだから、色々な人から罵られて、無視されて、なんぼだ。そのうちに世間が付いてくるぐらいに思え、それを乗り越えて初めて、世界を覆す会社になることを信じて。
[教訓]
〇起業家は罵られてなんぼだ。そこからが勝負。
〇凄いことをやっていれば、達成するまでは山あり谷ありが当たり前。一般人は谷しか見ずに小言を言う。起業家は、そのうち世間が付いてくるくらいに、中長期的に物事を考えよ。