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将来のお金を生む永遠の富の作り方

聖書に以下の事を学ぶ。

「競技をする人は皆、全てに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を得るために節制するのです。」

近代オリンピックは1896年に始まったが、この前身となったのは、古代ギリシャで行われていた古代オリンピックである。この始まりは、何と紀元前9世紀頃とされている。そして、これは、全能の神ゼウス等のギリシャ神話の神々を崇めるための競技祭だった。

その後、ローマ帝国がギリシャを支配下において、さらに、392年ローマのテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教と定め、オリンピア信仰に基づくオリンピックは終焉を迎えた。12世紀に続いて行われた競技だった。

従って、この聖書が書かれた時代にはオリンピックが行われていて、冠争奪戦をやっていたということだろう。おそらく今のオリンピックと、気持ちの上では何ら変わりがない。冠とは富の象徴だったはずだ。

企業が経営を継続するにあたっては、当然お金は大事だ。稼がない方がむしろ悪である。経営をすれば、従業員や取引先に支払いが発生するわけだから、それを支払わないのはどう考えても悪である。

しかしだ、お金は所詮朽ちる冠にすぎない。但しため込んでおくことが必ずしも善とは言えない。イエスも富は天に積みなさいという。現世に残すことをそれほど価値のあることとは思っていない。

企業とは、株主の者だと言われる。これはある側面では正しいのだが、既に公共性の高い存在になっている。この会社に勤める人にとっては運命共同体でもある。国や地方公共団体の税金も会社が払う。もちろん個人も税金を払っているが、会社が稼ぐ金から税金を払っている。

朽ちない冠とはどういうものか、それは企業としての無形資産と考える。それは経営者、会社、従業員、取引先、顧客等をつなぐ信用のネットワークだ。この会社の製品やサービスは本当に便利だ、生活の必需品だ、さらに心の必需品だ。こんな会社に関われるなんて最高だ。いつまでもこの会社で働いていたい。現在は、こういう企業と個人の関係が、正直理想論になってしまっているのが悲しくも思える。

無形資産を高めることに企業は金を使うべきだ。その金は、従業員や顧客、あるいは会社のある地方への還元ともいえる。会社がステークホルダーから愛されるためにお金を使えば、それは天に富と積んだことと同じことを意味するのだ。

[教訓]

〇朽ちない冠を求めよ。それは顧客をはじめとした企業の関係者との信用のネットワーク(絆)だ。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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