聖書に以下の事を学ぶ。
「全ての重みや絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走りぬこうではありませんか。」
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛するものを鍛え、子として受け入れるものを見な、むちうられるからである。」
「あなた方はこれを鍛錬として忍耐しなさい。」
キリスト教は、当初は迫害され続けた。その原因はキリスト教徒がローマ皇帝に対する崇拝や兵役を拒否することが多く、帝国の秩序を乱す存在であったからと言われる。それゆえ、信仰を守るために、忍耐が要求された。
起業も正直忍耐の連続だ。その忍耐を超えたところにしか、成功はあり得ない。まず起業する前には悪魔のささやきがある。「起業なんて失敗して借金を抱えるのが当り前よ」と。それは一面としては事実だ。まず周囲の不安を解消してあげる責任もある。特に家庭を持っている場合には。しかも一流企業に勤めていた人が起業をすれば、一流企業に勤めていたあなたに惚れていたことを忘れてはならない。子供もいるし、生活費も旦那に出してもらわなければならないから、嫁もやむを得ず、ついて行くかもしれないが、事業が上手くいかなければ離婚原因となることは覚悟した方がいい。それでもついてきてくれたら、本当にあなたに惚れていた証拠だ。あなたの肩書ではなくて、そこで初めて自分に夫としての自信を持っていい。但し、仕事は何とかしなきゃいけない。上司と母親、友人からの忠告は以前書いた気がするから、ここではやめておこう。
いずれにしても、決断は周りの人がすべきではなく、自分で決めなければならない。ここで動かなければ絶対に後悔する。但し、上手くいかなければここで決断したことを後悔する。どちらにしても後悔するのだから、死ぬ時に精一杯やったと思えるようにした方がいい。自分の人生は自分のためにあるもので、人のためにあるものではない。家族を持ったら責任は生じるが、しかし嫁や子供のために自分の人生を犠牲にしすぎることもよくない。とにかく説得してついてきてもらうことだ。
上の文章で「自分に定められている競争を忍耐強く走りぬこうではありませんか」と書いてある。つまりあなたには天から与えられた競争すべきものがある。それが今の仕事であるとは限らない。必死に今の仕事にしがみついたからと言って、将来まで安泰な時代ではなくなった。もはや競争優位は、あなたらしく生きることしか残っていない。そうでなければ一生安月給で我慢する人生しかない。あなたらしく生きることを神様は望んでいる。何故ならばそれがあなたにとって定められたことだからだ。そしてそれを忍耐強く走り抜け、様々な起きる失敗も、全ては神様から与えられた試練。
「神は、それを乗り越えられるものにしか試練を与えない。」
最初のうちに試練があるということは、定められた道を歩み始めた証拠だ。だからまずは忍耐するのだ。
[教訓]
〇起業は忍耐の連続。失敗の連続。失敗の彼方に成功はある。だから失敗は乗り越えなければならない試練。