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困ったときはお互いさまの精神を

聖書に以下の事を学ぶ。

「あなた方の現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなた方の欠乏を補うことになり、こうして釣り合いが取れるのです。「多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった」と書いてある通りです。」

ビジネスはいつどうなるかわからない。そこで余裕のあるときに、余裕のない経営者を助けておけば、自分が余裕がなくなったときに、助けた経営者が余裕があれば、逆に助けてもらえることがある。

知り合いで不動産開発をやっている人がいる。不動産開発はご存知の通り、相当時間がかかる。お金の取り方にもよるが、本当に成功報酬だけでお金を取ろうと思うと、開発が終わった後で、それをテナントに貸し出した収入や、その不動産をビル丸ごと売却したときのキャピタルゲインで儲けることになる。その人の凄いところは、本当に個人でそれをやってのける。当然投資家には投資を募るが、絶対にその投資家のファンドから管理報酬は取らない。ファンドからの管理報酬を取ったら、それで食べていけるのだが、本人はIRRを高めることが先と言って、そこではお金を取らない。だから本当に凄い。また、お客から得をするか損をするかわからないのに、報酬を取ってしまうと、自分には義務が生じる。その義務という拘束すらも嫌う。

それではどうやって普段暮らしているかというと、不動産開発で儲けたお金を色々な経営者に恵んでいる。だから、自分がお金が稼げないときに、その恵んだ金をバックしてもらっている。おそらく恵んでもらった方はトータルで利益になっているのだろう。だからお互いに成り立っている。つまり聖書の文章を地で言っている。

もう一つの例は、経営者連中の頼母子講だ。色々制約はあるのだが、基本的な考え方としては、お金に困っている経営者が、その講に参加をして、お金を受領する。その講のお金は、ほとんどが、今、お金に余裕のある経営者からのものだ。一部、前回お金を借りたから、今回余裕がないが一度返しておくのがルールだとして、拠出している人もいる。ここでお金を返さない(拠出しない)と、講に参加できなくなる。つまり追い出される。

経営者同士の集まりだから、お互いに苦労した経験の持ち主だ。だから困っているときには助けてあげようという気になるのだろう。そして、ここでお金を返さないと、村八分になるし、その後、助けてくれなくなるから、必死にお金を返そうと思うらしい。もちろんその講から金を借りても、返せず、音信不通になる例もあるらしい。間違いなく、村八分にされる。

その経営者からの仕事の依頼というのもあるから、それもメリットになっていると聞く。

自発的に、余裕がない経営者を助けるというのは難しい。お金がない=経営が上手くいっていない=お金が返ってこない可能性が高いのが普通だ。正直、自分の経験上、助けてあげてお金が返ってきたためしがない。そのため、自分のお金は、人の失敗を助長する、悪魔のお金だと思うことにした。それ以来、貸すのはやめて、仕事を出してあげるというソリューションにしている。しかし仕事を発注してあげるのも限界があるから(国のやっている道路工事でもあるまいし、どう考えてもいらないものはいらない)、その会社の仕事を欲している人を紹介してあげるのがベストだと言えよう。

[教訓]

〇誰かに親切にしておくと、自分が困ったときに助けてくれることもある。但し、無尽蔵に助けていては、自分の余力もなくなるし、自分が困ったときに助けてくれる保証はない。助けるのもほどほどにすべきだ。助けるのはあくまでも自分に余力があればでいい。

〇安くサービスを提供しているだけでも、十分に親切と言える。

〇仕事を発注する、あるいは必要としている人を紹介するサポートが一番健全だ。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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