聖書に以下の事を学ぶ。
「あなた方は地の塩である。だが塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」
塩は塩気があるから塩なのであって、塩気がなくなれば何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけであるとは、非常に厳しいが、今現在の我々はどうであろうか、果たして自分に塩味などあるのだろうか。汗をなめればしょっぱいからいいというわけではない。他人と比較して、違いがある塩味かどうかである。
世の中、ステレオタイプの人間が増えている。むしろ無個性で生きた方がものすごく心地よい。個性を前面に押し出すと、かえって自分の首を絞める結果にもなる。
そうして人はいつの間にか、単なる量産型であることに満足する。大半の人間がドングリの背比べの中を一生懸命に生きている。ただ、残酷かな、特殊技能を持たない人間は、コストパフォーマンスが悪くなった時点で、何の役にも立たなくなり、組織から追い出されて、雑草のごとく踏みつぶされる。主人公メカにあるプロトタイプでなくてもいい。別に赤くなくてもいい。でもせめて角ぐらいは生やしたいものだ。
だから誰でもできることをやって評価されようと思っても、使う方からすれば、安い方がいいし、年より若い方がいいし、となってしまう。誰でもできる、要するに味がないということと変わらない。但し、使う方からすれば、強烈な味でも困る。会社になじむ、薄味が喜ばれる。
そのため、あなたでしかできないことで、世の中で役に立つことを必死に探し出すしかない。独りよがりのスキルは世間で評価されないことが多い。あくまでも世の中の役に立つという視点が必要である。そしてあなたらしい塩気を持つのだ。よほどのスキルを持っていたとしても常に上には上がいる。もちろん塩気がありすぎても敬遠されるが、ちょうどいい塩梅が必要ということだ。
「あなた方は世の光である。・・・ともし火を灯して枡の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば家の中のもの全てを照らすのである。そのようにあなた方の光を人々の前に輝かしなさい。・・・」
暗闇の光は目立つ。要するに世間でできる限り目立ちなさいということであり、暗闇の中の光は、暗闇にいる人にとっては非常に役に立つ。言い換えれば、世間に役に立つことで目立ちなさいということになる。強烈な塩気は、人から舐めてもらわないと気づいてもらえないが、光であれば、光っているだけで気づいてくれる。
光もまぶしすぎると、相手に目を閉じられる。灯というくらいだから、包むような暖かい光を発するとよいのだろう。
余り個性的過ぎず、良い塩梅と暖かい光。そして暗闇の中でみんなを照らす灯。
[教訓]
〇自分に塩味があるかを知れ。なければ塩味をつけろ。
〇人を温かく包むような光(サービス)を放て。