ある日、二人(ミッターマイヤーとロイエンタール)は高級士官クラブの一室に珈琲ポットを持ち込んで、ポーカーの数ゲームをやりながら、シャフトを散々にこき下ろした。
「たとえ、戦術上の新理論を発見したからと言って、出兵を主張するなど、本末転倒も甚だしい。主君に無名の師を勧めるなど、臣下として恥ずべきことではないか」
・・・「無名の師」とは大義名分のない無法な戦争を指して言う語で、およそ戦争に対する批判の言葉としては、この上なく手厳しいものであろう。・・・
「・・・今度の出兵は無益で無用なものだ。いたずらに兵を動かし、武力におごるのは、国家として健康なありようじゃない」
シャフトの提案など、何ら新味を持つ者ではなく、復古的な大艦巨砲主義が化粧の方法を変えて再登場したに過ぎない、というのであった。
「巨大な象を一頭殺すのと、一万匹の鼠を殺し尽くすのと、どちらが困難か、後者に決まっている。集団戦の意義も知らぬ低能に、何が出来るのか」
(解説)
ミッターマイヤーとロイエンタールは、シャフトのガイエスブルク要塞についての作戦に不平不満を言っていた。
大義名分のない戦争はいけない。確かに、大義名分とはイゼルローン要塞をガイエスブルク要塞で撃滅し、同盟進行への足掛かりを取り戻すというものであったが、実際は、シャフト個人の売名行為以外の何物でもなかった。
会社の戦略にも、要するに売上を上げるためにやっているといってしまえば、良いことのようだが、その会社の売上が上がって、結果、役員報酬が増えるとか関係者に配分が増すということだけであれば、その会社が売り上げを拡大する意義があるのか、ということだ。常に、社会的にどのような意義があるのかを念頭に置くべきだ。社会的に意味がないのであれば、あんたがただけが儲けることには何の意味もないことを知るべきであろう。例えば、コロナショックで火事場泥棒的な、転売ヤーの行為は非難されこそすれ、称賛には値しないのである。つまりあんたが儲けることが、社会的にまるで意義がなく、社会の利益に反する行動だからだ。
また、一頭の巨象を落とす方が、1万匹の鼠を殺し続ける方が、長い時間もかかるし、大変な事なのだ、つまり、単価の高いものをワンショットで売る方が、細かいものを継続して売るよりも案外楽なのである。
(教訓)
〇ただ儲ければいいという、大義名分のない事業はやめろ。存在が邪魔でしかない。
〇小さなものを複数回売るよりも、大きなものを1回売る方が実はラク。