ナイトハルト・ミュラーは、ついに決心して命令を下した。
「索敵と警戒の網を、回廊全体に張り巡らせ、ヤン・ウェンリーの帰途を待って彼を捕えるのだ。・・・」
彼の命令で、3000隻の艦艇が回廊に配置された。・・・
ところが、この決断は一人の人物を怒らせた。総司令官ケンプが、自分の命令もないのに勝手な兵力再配置を行った理由は何か、と詰問してきたのである。・・・・
仕方なくミュラーは引きさがったが、・・・参謀のオルラウ准将に相談した。返答はこうであった。
「閣下は総司令官ではなく、副司令官でいらっしゃいます。ご自分の我を通されるより、総司令官のご方針に従われるべきでありましょう」・・・
こうして、ヤン・ウェンリーを捕えるため、いったん準備された罠は全て取り払われた。
結果としてミュラーは誤った。後に帝国の戦史家がそれを非難し、ロイエンタールかミッターマイヤーであったら書士を貫徹してヤンを捕えるのに成功していただろう、と言ったことがある。それに対してミッターマイヤーは答えた、それは結果論にすぎない。自分もミュラーの立場であったら彼以上のことはできはしなかった、と。
(解説)
同盟軍の捕虜の一人が、ヤンはイゼルローン要塞を不在にしていることを暴露したが、それが真実なのか、帝国側の判断を誤らせるためだったのか、わからなかった。ミュラーはそれを真実だとして、ヤンを捕えようとしたが、ケンプはその行動を止めた。
後評論であれば、どんなことでもいえるのだ。責任を持った立場に立って、意思決定をして、その結果、間違ったとしても、リーダーがそう決めたのだからやむを得ないと、部下は納得するしかない。それが組織というものだ。それでも間違っているというならば、そのリーダーのいる組織からは、外れるべきだ。
後評論で偉そうに言う評論家は多い。そして、真のリーダーになる素質のある者は、そのときに自分がどのように判断しようと、後評論をすべきではない。成功しようと、失敗しようと、どうとでもいえる。真のリーダーは、ミッターマイヤーの言う通り、その時の現場にいたリーダー以上のことはできなかった、というはずであろう。仮に真逆の事を考えていたとしても、対外的にはそのように発言すべきだ。
(教訓)
〇リーダーは他のリーダーの意思決定について、後評論をすべきではない。
〇あるリーダーの考え方について、文句があるのであれば、さっさとその組織を抜けろ。それが組織と言うものだ。