人間の心に二面性がある以上、民主政治と専制・独裁政治も時空軸上に併存する。どれほど民主政治が隆盛を誇っているかのような時代でも、専制政治を望む人々はいた。他者を支配する欲望によるだけではなく、他者から支配され服従することを望む人がいたのだ。その方が楽なのだ。してもよいことと、やってはいけないことを教えてもらい、指導と命令に服従していれば、手の届く範囲で安定と幸福を与えてもらえる。それで満足する生き方もあるだろう。だが、柵の内部だけで自由と生存を認められた家畜は、いつの日か殺されて飼育者の食卓に上らされるのである。
(解説)
ラインハルトとの決戦が近づく前に、ヤンは自分が戦う理由を再確認しなければならなかった。戦力差を考えれば、それをひっくり返すことはほぼ不可能である。しかし、「民主主義の理念と制度」を後世に残したい、と言う気持ちである。自分も民主主義しかありえない人間ではあるが、命を懸けてまで、そう言い切れるかははっきり言って自信がない。香港の人々が、自由や尊厳を求めて、全体主義と戦う姿には心を打たれる。彼らは民主主義のために命を懸けている。頭が上がらない。
政治の話は横において置いて、このヤンの回想を見ると、今の我々に身近な話題を提供していることに気づかないだろうか。専制政治とは、どう考えても会社組織そのものではないか。大企業にいる人間は、中小企業を支配する欲望を持っている。ある広告代理店は、自分たちが政府の仕事を取るために、他者に対して圧力をかけている。会社内では上司には絶対服従である。そこには他者を支配する欲望がある。
一方、サラリーマンは、会社に隷属し、いわゆる他者から支配され服従することを望んでいる。ちょっと待ってくれ、生活のために仕方がないんだ、というが、別に生活のためだったら、わざわざどこかの組織に属する必要はない。自分で仕事を取ってきてお金にすればいい。それができないなんていい訳である。みんな本当はできるのだ。しかしそれをしない。何故か、それは楽だからだ。これをやっておいてと上司に命じられ、わからないことがあれば、組織内の誰かが知っている。知らなければ外注先が知っている。上司の指導と命令に服従していれば、小さいながらも安定と幸せが与えてもらえる。要するに楽をしたいのだ。
その結果は、ヤンも言う通り「・・・柵の内部だけで自由と生存を認められた家畜は、いつの日か殺されて飼育者の食卓に上らされるのである」と言う事実に、果て、いつ気付くことだろうか。労働法や政府が守ってくれると思ったら大違いであることに気付こう。
(教訓)
〇この世には他者を支配する欲望を持っている種族と、他者から支配されたいと思っている種族がいる。
〇他者から支配されるのと良しとする生き方は、支配する欲望を持つ種族から食われるだけだということに早く気付け。