「ラインハルト様、あなたが怒っておられるのは、ビッテンフェルトの失敗に対してですか?」
「知れたことを」
「私にはそうは思いません。ラインハルト様、あなたのお怒りは、本当はあなた自身に向けられています。ヤン提督に名を成さしめたご自身に。ビッテンフェルトは、そのとばっちりを受けているにすぎません」
「一つの失敗をもって多くの功績を無視なさるようでは、人心を得ることはできません。ラインハルト様はすでに前面にヤン提督、後背に門閥貴族と、二つの強敵を抱えておいでです。この上、部下の中にまで敵をおつくりになりますな」
「わかった。俺が間違っていた。ビッテンフェルトの罪は問わぬ・・・そのことをお前が伝えてくれないか」
「いえ、それはいけません」
「そうだな、俺自身で言わねば意味がないな」
キルヒアイスが、寛恕の意を伝えた場合、ラインハルトを怨む一方でキルヒアイスに感謝するようになるだろう。人の真理とはそういうものだ。それでは結局、ラインハルトに寛恕を請うた意味がない、そしてキルヒアイスは拒んだのである。
(解説)
ビッテンフェルトの功を焦った打撃に対して、ラインハルトは必罰を与えることにしたが、それをキルヒアイスが考え直すように伝えた。その理由はビッテンフェルトの敗北ではなく、ヤンによって、再び完勝を得られなかったことで、ラインハルトが自分自身に腹を立てており、それをビッテンフェルトに押し付けるなと言ったわけである。
そして一つの失敗で、今までの功績を無にしてしまえば、味方の中にも敵を生んでしまう。たまに会社の評価制度で、上昇するのは難しいが、一度の失敗で何ランクも下がってしまうものを見かける。下がるは安し、上がるは難し、といったところである。もちろん上げるのは安し、下がるのは難しは、これも問題ではあるが、一度の失敗は多めに見るぐらいの気持ちは必要である。何でもかんでも上がったり下がったりの評価制度では、評価される側も疲れてしまう。
いずれにしても、経営者は自分のミスを、特定の部下に押し付けてはならない。
(教訓)
〇上がりづらく、下がりやすい評価制度は考え物だ。今すぐ見直せ。
〇一つの失敗で、今までの功績を無にすることはやめろ。人心を失う。