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創業者はルールそのものである

「人間は主義だの思想だののためには戦わないんだよ!主義や思想を体現した人のために戦うんだ。革命のために戦うのではなくて、革命家のために戦うんだ。俺たちは、どのみち死せるヤン提督を奉じて戦うことになるが、その場合でも、この世に提督の代理を務める人間が必要だ」

「ユリアン、いいか、政治における形式や法制というものは、二代目から拘束力を持つのだぜ。初代はそれを定める立場にある。」

(解説)
どんな主義や思想にだって、メリットやデメリットがある。それに正しいこと、間違っていることもある。そのため、それらは好きか嫌いかだけにすぎないはずなのだが、みんなが寄ってたかって、その主義や思想について、正しいだの間違っているだの始まる。それぞれの立場に立つと、ある主義や思想が正しく見えることはある。そうなると逆の立場に立ったときに、今まで正しいと思っていたことが急に間違っていると気づくこともある。

結局のところ、主義や思想は、自分が好きか嫌いかであるし、その主義や思想のために戦う場合は、上記、アッテンボローの言うように、その主義や思想で戦っているのではなくて、それを体現した人たちのために戦っている。革命のためではなく、革命家のために戦う。主義や思想でなくて、人のために戦うのである。

これは会社も同じことなのだ。経営理念が何だといったところで、その会社にいたい理由というものは、「経営理念が素晴らしい」ではなくて、上司がいい人だ、この同僚といると頑張れる。この経営者のためにならば、土日祝日も働ける、そんな理由にすぎない。経営理念なんて後で取ってつけたようなもので、人に従うのである。

そうは言っても、中小企業クラスになると、社長が突然、あの世に行ってしまうことはないわけではない。そこで二代目が帝王学を受けていることもあり、ないこともある。このリーダーだからついてきた。新しく変わったからついて行かないのも選択肢だが、そうは言っても、中小企業に勤めていた人は、転職をすることは難しい場合が少なくない。そのため、リーダーが変わったからと言って簡単にやめられないのが現実である。

後半の台詞はキャゼルヌのものだ。会社の形やルールを作るのは、創業者である。それで、会社に規則はあるが、創業者に、そこで働くものは従っている。創業者がいなくなった時に初めて、作ったルールが、そこで働いているものを拘束しだす。それが二代目から形式やルールが拘束力を持つという意味なのだ。創業者はルールそのものなのだ。

(教訓)
〇スタッフは経営理念ではない。リーダーについて行くのである。
〇創業者はルールそのものであり、形や規則を定めるのが役目。その形や規則に拘束力を持つのは二代目からだ。当然、二代目が新しい形や規則を必要に応じて生み出すということを否定しない。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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