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経営者が名君でい続けるためには

名君にとって最大の課題は、名君であり続けることなのである。名君として出発し、暗君または暴君として終わらなかった例は、ごく珍しい。君主たる者は、歴史の審判を受ける以前に、自らの精神の衰弱に耐えねばならないのだった。立憲君主であれば、憲法や議会に責任の一部あるいは大半をゆだねることができるが、専制君主が頼みうるものは自分自身の才能と器量と良心のみであった。

(解説)
どんなに優れた人であっても、権力にさらされてしまうと、自分自身を律することが難しい。権力の周囲には、多くの唆しもある。その点、いいも悪いも、変えてあげるのが良い、アメリカは2期、最長8年しか最高権力の座にいられない。そもそも8年で結果が出せないのならば、何年やっても結果は出せない。非常に合理的な制度だ。どこぞの島国ではずっとのさばることができる。その結果、国民は舐められ続ける、ことにそろそろ気づいた方がいいのにね。どこの国とは言わないけれど。どんなに人格的に、思想的に優れていても、自分が変わってしまう、あるいは周囲に変えられてしまうのだといってよい。アメリカの場合には選挙以外の手段で自浄作用が働く機能を持っているといえる。

さて、会社という制度は、もっと審判を受けにくい状況である。株主が経営者と別人であればよいのだが、世の中の未上場企業のほぼ全部が、オーナーと経営者が同じになっている。審判を下す方が、自分と同じ。好き放題、やりたい放題である。

よほど、法律に違反しない限りは、会社が存続し続ける限り、その経営者はずっと経営者のままである。いちいち文句をいう奴は、首にしてしまえばよいので、自浄作用は働かない。その会社の中では、オーナー経営者は自分が憲法のような存在だ。

もっとも中小企業の多くは、金融機関や税務署、あるいはほかの監督官庁、具体的には労働基準監督署という強い公権力があったりもする。あまりにひどい経営者であれば、そのうち会社経営にもひびが入ってくるだろうから、顧客から見捨てられる危険性もないわけではない。

権限を持ってしまうと、自らを律するのは難しい。その場所はまさに専制君主と同じであり、自分自身の器量と良心のみしか、それを律することができないことになる。まさに絶望的である。

(教訓)
〇会社経営者は、名経営者であり続けることが難しい。
〇非上場会社であり、オーナー兼経営者は、自分自身の才能、器量、良心しか自らを律することができない。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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