士官学校で優等生だった貴族出身の参謀将校等にラインハルトは期待していなかった。軍事能力は学校教育で育つ者ではないことを彼は知っていた。彼自身がそうであるように、天性の軍人が学校秀才であることはあっても、その逆はあり得ないのである。
キルヒアイスを参謀役にはできなかった。彼にはラインハルトの分身としてときには数個艦隊を指揮統率させねばならない。ラインハルトとともにあるときは大局を見て決断を共にしてもらう。それが腹心の果たすべき責務だった。
(解説)
選抜でペーパーテストを使っている以上、絶対にその適正は分からない。軍事能力だけが学校教育ではわからないという次元ではない。学校教育でわかるものは、学校教育で出しえる結果でしかない。はっきり言おう。学校教育で優れたものは、学校教育で優れている結果以上のものではない。百歩譲って言えることは、学校教育で優れたものは、受験教育だけのスペシャリストである。しかし中には自分でテストを解くのが得意でも人に教えるのは下手くそという事はよくある。
ビジネスパースンとしても学校教育に優れていたからと言って、優れた成果を残せるかどうかはわからない。言えることは、試験勉強や試験自体には、集中力が必要であるから、集中力や我慢強さ、上の人から言われたことを忠実に守る、と言う忠誠心は比較的に身に着くといえるかもしれない。
また、これだけは言えることは、経営者は、学校教育に優れているからなれるわけでもない。これには少し修正が必要かもしれない。学校教育で優れた結果を出さなければ、世間的にいう有名企業には入社できないため、出世するまでに至らないから、経営者になる一つのルートは閉ざされる。しかし自分で起業すればその場で経営者だ。但し、成功する経営者になれるとか、優れた経営者になるというのは、経営と言う才能が必要である。才能と言うよりはセンスと、後は修羅場を潜り抜ける忍耐力と言ったところだ。
経営者の中に、学歴の高い人はいるが、学歴が高いからと言って経営者として有能であるとも限らない。これは言える。結局のところ、経営者を育てるには、自ら経営をさせるしかない。地位が人を育てるのであって、テスト勉強が経営者を育てることはない。MBAを取ったからと言って、優れた経営者になるとは限らない。
優秀な部下を近くに置いておきたいが、むしろ信頼出来ればできるほど、自分の目の届かないところで活躍してもらった方が、組織としては有効に働く。
(教訓)
〇座学は経営者を育てない。
〇優秀でも信頼できる部下は、遠くで活躍してもらった方が組織には有用である。