「一つ窺ってよろしいですか、提督・・・今回あなたに課せられた命令は、土台無理なものだった。半個艦隊、それも烏合の衆に等しい弱兵を率いて、イゼルローン要塞を陥落せよというのですからな。拒否なさってもあなたを責める者は少ないはず。それを承諾なさったのは、実行後技術面ではこの計画がおありだったからでしょう。しかし、さらにその底には何があったかを知りたいものです。名誉欲ですか、出世欲ですか」
・・・
「出世欲じゃないと思うな。20代前で閣下呼ばわりされれば、もう十分だ。第一、この作戦が終わって生きていたら私は退役するつもりだから・・・そこでこれは同盟政府の外交手腕次第だが、軍事的に有利な地歩を締めたところで、帝国との間に何とか満足のゆく和平条約を結べるかもしれない・・・」
・・・「とにかく期待以上の返答は頂いた。この上私も微力を尽くすとしましょう。永遠ならざる平和のために」
(解説)
シェーンコップも、かなり無理難題を押し付けられただけではない、場合によっては死をも覚悟しなければならないし、殺されなくとも、失敗したら捕虜は絶対だ。そこで、ヤンの、この作戦に対する動機を聞いた。
イゼルローン要塞を同盟側が手に入れれば、帝国軍に対する軍事的脅威となり、パワーバランスが強くなる。そうして、和平に至る可能性があるというのである。ヤンは戦いたくはない、争いのない社会、つまり平和が欲しいのだ。
単に個人の出世欲だったとしたら、そんな奴のために命を投げ出そうとは思わない。ヤンの目的は、社会の平和にある。そのビジョンを知ったから、シェーンコップも覚悟を決めたわけだ。
経営者も、つまるところ、個人の私欲だったり、金が欲しいといわれたら、そこで働く従業員はげんなりだ。従業員は時間を対価に働くため、何らかの搾取はされている。自分を犠牲にして働いている。例え、給料をもらっていたとしても、手足になって、経営者のために働いているという気持ちはある。だからこそ、経営者の私欲のためではなく、社会の利益のために働きたいと思うものだ。
経営者も従業員に気持ちよく働いてもらいたいと思ったら、私欲を棄てよ。公益的な存在になれ。社会のために尽くせ。そうでなければ、誰もついてこなくなる。
(教訓)
〇経営者は、私利私欲を棄てよ。
〇経営者は、社会のために行きよ。そうすれば従業員は気持ちよく従ってくれる。