「君は、私たちの祖国愛が偽物だとでもいうのか」
「あなた方が口で言うほどに祖国の防衛や犠牲心が必要だとお思いなら、他人にどうしろこうしろと命令する前に、自分たちで実行なさったらいかがですか」
むしろ悠然とした口調だった。
「例えば、主戦派の政治家、官僚、文化人、財界人でもって『愛国連隊』でも作り、いざ帝国軍が攻めてきた、というとき、真っ先に敵に突進なさったらいいでしょう。まず、安全な首都から、最善線のイゼルローン要塞内にご住居を移されたらいかがです?場所は十分にありますが」・・・
「人間の行為の中で、何が最も卑劣で恥知らずか。それは、権力を持った人間、権力に媚を売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場に送り出すことです。宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いを続けるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することから始めるべきではありませんか。」
(解説)
そのままどこぞの政府に転送してやりたい台詞である。愛国心と言う奴のほとんどが、それをはき違えているとしか思っていないのだが、愛国であるならば、その国の構成員である国民を愛さなければならない。国民を無視あるいは犠牲にして何が愛国だと思う。まあ、ここで国についてとやかく言うのはよそう。あくまでもビジネスに関して論ずるところだからだ。
愛国心を愛社精神に変えて、考え直そう。会社のオーナーであれば、会社は自分の資産だから愛をもって当たり前だ。さらに言おう。会社は組織であり、役員、従業員と言う内部の人間だけでなく、取引先、顧客その他利害関係人という外部の人たちも合わせた組織体なのである。実は会社と言うのは内外の複合的な組織体なのだ。内は資産、外は無関係ではない。ましてや経営者の多くが、従業員を内ならぬ外の人だと思っていないだろうか。単なる部品だと思っていないか。
会社を愛するなら、その構成員全てを愛さなければならない。従業員もだし、この取引先は安く使ってもいい、というわけにはいかない。顧客を騙して稼ごうなど言語道断なのだ。会社愛は、組織愛であり、それを構成する全ての利害関係者を愛することだ。実際に経営者や取り巻きだけを愛するだけならば、会社を経営している資格などない。
時と場合においては、経営者自らが営業の先人に立たなければならない。安全なところで見ていればいいというだけではダメなのだ。ブラック企業そのものが良いわけではないが、敢えてその存在を認めるとしたら、経営者自らが、土日祝日に出勤し、徹夜を重ね、結果が出なければ無報酬を率先すべきである。部下だけに犠牲を強いてはならない。
(教訓)
〇会社愛とは、会社の利害関係者全てを愛することである。
〇会社を愛する経営者は、まずは自ら率先して営業を行うべし。部下だけに任せて安全なところで見ているだけではならぬ。