世界の歴史を題材とした起業家応援メディア

自分らしい経営をすればよい

「引き受けたら?」
「フレデリカさんまで、そんなことをおっしゃるとは思いませんでした。考えても見てください。僕にヤン提督と同じことができるはずないでしょう」
「あたりまえよ、ユリアン、ヤン・ウェンリーみたいなことは誰もできないわ」
「ええ、できません。才能の差が大きすぎます」
「いえ、個性の差よ。ユリアン。あなたはあなたにしかできないことをやればいい。ヤン・ウェンリーの模倣をすることはないわ。歴史上にヤン・ウェンリーがただ一人しかいないのと同様、ユリアン・ミンツもただ一人なのだから」

(解説)
経営者が偉大であればあるほど、その後継者が恐縮してしまうことは仕方がない。その理由は、あのような偉大な経営者の代わりなど務まるはずがない、と言う気持ちだ。もちろん幹部や部下は、絶対的に前の経営者とその能力や実力を比較してしまう。

そこでフレデリカが言うには、「ヤンと同じことなんてだれもできない」、「(才能の差でなく)個性の差だ」、「あなたはあなたらしくやればいい」。そういわれれば少しは気楽になろうというものだ。もっとも、今、イゼルローンに置かれている状況を考えれば、気楽に受けたくないというのも事実だが。普通に考えれば、さっさと白旗を上げてしまって、命だけはお助け、という気持ちの方が先行していても不思議ではない。

前の経営者と同じ能力なんてあるわけもない。仮にその経営者が半世紀以上経営者であったならば、様々な修羅場を潜り抜け、それに対処してきたわけであるから、経営者の能力は経験値も含め、段違いに決まっている。だから、才能の差で後継者を決めるのであれば、その条件に合致した人物はまずいないといってよい。

後継者を務めるからには、自分なりのやり方でやるしか方法はないし、それで十分なのだと思う。経営の能力は、これから否が応でも高まっていく。あとはどれくらいの成長への機会があり、必死にもがきながら、対処できるかだけだ。前任者がこんなときはどうしたかな、と自分の記憶のハードディスクの中に答えがあれば、それを遠慮なく活用すればよいし、後は、都度、自分の頭で考えていくしかない。経営とは所詮、能力ではなく、個性だ。能力ならば、自分に足りないところは、社内外の人材で補強すればよい。リーダーは能力ではない、個性なのだ。リーダーの個性に、スタッフはついて行くのだ。

(教訓)
〇後継者は前任者の模倣をする必要はない。自分のやり方でやればいい。
〇リーダーは才能ではない。個性である。能力は社内外の人材でいくらでも補強できる。個性にスタッフはついて行くのだ。そして個性は他人には補強ができない。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
SNSでフォローする