「総参謀長殿、私が思いますに、どのような上着をまとおうとも、政治の実相はただ一つです」
ラングは自己の主張を披歴して見せた。・・・
「ほう、それは何か」
「少数による多数の支配です」・・・
「民主共和制は自由意思による多数派の支配を謳っているが、その点について卿の思うところを聞きたいものだな」
「全体を100として、そのうち51を占めれば、多数による支配を主張できます。ところがその多数派がいくつかのグループに分裂しているとき、51のうち26を占めれば、100という全体を支配できます。つまり、4分の1という少数を占めただけで、多数を支配することが可能となります。むろん、この例は様式化、単純化したものであるが、多数派支配と言う共和制の建前がいかに虚しいものか、明敏な閣下にはお分かりいただけることと存じます」
(解説)
総参謀長オーベルシュタインとハイドリッヒ・ラングとの会話である。
民主主義は国民の代表を選挙で送り込んでいるはずだが、日本の実情は、全体主義国家とまるで変わりがない。全体主義国家は、自分たちを全体主義国家と言っている、つまり、正直者であるだけ、なんぼかマシかもしれないとさえ思う。民主主義を標榜する国家としての、あまりにもの情けなさに比べれば(もちろん全体主義国家なんて望むべくもない!)。ラングの考える、少数派による多数派支配の原理は、民主主義国家であるはずの日本においても該当する。まあ、ここで政治を語るのはやめておくが。
さて、会社組織においても、その実相は「少数による多数の支配」であることは否定できない。別にそれが悪いといっているわけではない。株式会社は、株主を社員として、議決権の多寡で支配権を決めている。従い、多数派のうちの多数派が株式会社において、権限を握っているといってよい。極端な話、70%を保有するオーナー経営者にとっては、取締役会に何人いようとも、一人で何でも決められてしまう。人的な意味合いにおいて、まさに少数による多数の支配となっている。そのオーナー経営者が取締役会を支配し、従業員をコントロールしている。
改めて、持株比率を考え直し、組織においても常に多数派の中の多数派をコントロールすることを意識せよ。その結果、人的に少数であっても、多数を支配できるのだから。その組織において、数をそろえても勝てない場合があることにも注意せよ。
(教訓)
〇組織を支配するためには、多数派の中の多数派をコントロールすればよい。
〇支配は単に全体数だけにおける数だけではない。