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信念も強すぎるといいことはない

「人間は誰でも身の安全を図るものだ。この私だって、もっと責任の軽い立場にいれば、形勢の有利な方に味方しよう、と思ったかもしれない。まして他人なら、なおさらのことさ」

歴史を見ても、動乱時代の人間と言うものはそういうものだ。それでなくては生きていけないし、状況判断能力と柔軟性と言う表現をすれば、非難することもない。むしろ、不動の信念等という代物の方が、往々にして他人や社会に害を与えることが多いのである。

信念と言えば、ヤンは「必勝の信念」等という台詞をきくと、鳥肌が立つのである。「信念で勝てるのなら、これほど楽なことはない。誰だって勝ちたいんだから」
ヤンはそう思っている。彼に言わせれば、信念とは願望の強力なものにすぎず、何ら客観的な根拠を持つものではない。それが強まれば強まるほど、視野は狭くなり、正確な判断や洞察が不可能になる。だいたい信念等というのは恥ずかしい言葉で、辞書に載ってさえいればよく、口に出して言うものではない。

(解説)
日和見的、というのはあまりに良い印象を持たれないが、動乱の時代にはどうだろう。先行き不透明な時代において、よほどの人物ならば、軸をしっかりさせることはできるかもしれないが、普通の人には難しい。

地震を考えてみよう。日本の建物は世界で一番地震に強い建物であろうかと思う。現状の建物は震度7ぐらいに耐えられるように設計されているらしい。それ以上の地震が来たら、どうなるかわからないし、震度7クラスが何度も起きたら、崩れ落ちるかもしれない。それを震度8や9のような、あまり来ない地震にまで対応していたら、建築費のケタも変わってしまうだろう。それだけ建築費にお金をかける余裕もないに違いない。

信念というものは、杭を深く打ち込んで、太い柱を立てるようなものだ。かなり強い地震に耐えられるに違いないが、想定以上の強い地震だった場合には、柱が割れる可能性だってあるだろう。そこで建物は、免震(揺れを伝えない)、制震(揺れを吸収する)、耐震(揺れに耐える)と言う3つの工法を取っている。

言っては何だが、建物は地震に対して日和見的なのだ。これを批判するわけにはいかないだろう。人間はどんなに天才でも、将来のことを完全に見通すことなどできない。そこでつまらない信念にとらわれていては、柔軟性に欠き、狭い視野にとらわれることもありうる。

全く信念(柱)がないのも考え物だが、強すぎる信念(柱)も考え物だということだ。

(教訓)
〇信念も大事なときはあるが、それ以上に柔軟性が大事なときもある。特に将来が予測できない動乱期には。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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