「皇帝も奇妙な人事をなさいますな。ヤン・ウェンリーが不慮の死を遂げた後、元の同盟元首を帝国の属僚として帰国される。民主共和制に対して皮肉をお示しになったわけでしょうか」
ベルゲングリューンは首をかしげたが、ロイエンタールには皇帝の心情が多少は理解できる。今やこの厚顔な男に、恥をかかせてやるだけが楽しみなのであろう。トリューニヒトは一国の元首兼最高行政官として相応の才幹があった男ではあるが、その行動原理はラインハルトの美意識からは極遠の位置にあるのだ。
「まあ、いいさ。トリューニヒトの能力と知識だけを活用すればよい。奴の人格的影響を受ける必要はないだろう」
「使って信じず」とロイエンタールは言った。
(解説)
ヒルダの機転によって、トリューニヒトを助けるという前提で、同盟に強制的に停戦をさせることで、ラインハルトはヤンに敗北せずに済んだ、と言う意味で、ラインハルトにとって、トリューニヒトは命の代償のようなものだった。ロイエンタールは、厚顔なトリューニヒトに恥をかかせるためであると看破していた。
組織においては、どうしても扱いづらい部下や同僚とも共に仕事をしなければならないときがある。どんな人に対しても愛想よくはできない。しかし大人の関係は守らなければならない。そこで、「使うが信じない」と言う態度だ。その本心を決して外に出してはならない。
それにトリューニヒト自体は人格的には嫌らしいが、能力はそれなりにあった。そのため、ロイエンタールも能力と知識だけを活用すればいいと考えていたのだ。ただ、全く人格的影響を受けずに済むわけではない。我慢の必要も増える。
もっとも、組織的に已むを得ざる場合は別として、無理にそのような人物を社内に抱え入れることはない。流石に、大人同士が子供みたいに、お前なんか嫌いだとは言えないから、そこは無視するとか、コミュニケーションを取らない、などして穏便に済ませよう。気の合わない人間と、同じ空間で息を吸うのも、気を使いまくって疲れる。
経営者ならば、共に仕事がしたくない人間とは、仕事をしないことは可能だ。但し、出資を仰ぐなど、こちらがなんらか弱みを握られた場合はそうはいかない。投資家が送ってくる嫌な奴にもにこにこしながら対処せざるを得なくなる。そのときは、ロイエンタールも言うように「能力と知識だけを活用する」「使って信じず」ことを心に決めよう。
(教訓)
〇嫌な奴と付き合わなければならない場合は、能力と知識だけを活用する、使って信じずを心がけよう。決して、メンタル的に付き合ってはならない。