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部下の功績は誰の功績か

「フロイライン、昨年、予はバーミリオン星域でヤン・ウェンリーと戦った。そして見事に敗れた」
「陛下・・・」
「予は負けたのだ」
反論を許さぬ明快さと厳格さで、ラインハルトは断言した。
「戦略レベルにおいて、予は敗死を免れたのは、フロイラインがロイエンタールとミッターマイヤーを動かして敵国の首都を衝かしめたからで、功はフロイラインにある。予には何の功もありはしない」
「恐れ多いお言葉ですが、陛下、臣下の功績はその臣下を取り立てた主君に帰するものです。陛下は負けてはいらっしゃいません」

(解説)
リーダーは、負けを負けと認める潔さが必要である。強がっているだけでは、勝つための方策は見つからない。負けと認めて、なぜ負けたのかを考え、そして次に負けないための方策は何だ、という思考プロセスを経なければならない。

最終的には戦略レベルで勝利すればよく、戦術レベルではいかに敗北しても、それを責めてならない。企業経営上、戦術レベルは、投資の失敗やコストにすぎない。失敗しても同じ失敗をしなければ、教育費や研究開発費のようなものである。

戦術レベルの失敗を常に嘆いていては、売上を上げるために費用を翔けないのと同じことである。永遠に売り上げが上がらず、つまり戦略レベルの勝利を獲得することはできない。将棋でいう所の、飛車角に大手をかけられそうになったが、その前に敵陣の王をとって、参りましたといったところだろう。将棋は「王」だけでは勝てないのだ。

そして功があった部下には素直に感謝をする。ただ、組織においては、部下の上げた実績はもちろん部下のお陰ではあるが、実際は、その部下を登用した経営者のおかげでもある。もちろん不祥事を起こせば、それはその部下を登用した経営者の責任でもある。部下の功績をそれほど認めず、部下の失敗をあげつらう。誰がそんな経営者のところで働きたいと思うか、ということである。

人一人でできること等たかが知れている。経営者は、優秀な部下を発掘し、育て、登用する。功があれば報い、責めがあれば罰する。戦術レベルの負けを気にせず、戦略レベルの勝ちに価値を認める。部下の功績は部下の功績として報い、特に任命した経営者に功績を認めず、部下の失敗は経営者の失敗として自ら反省する。それが望ましい。

(教訓)
〇部下の功績は部下の功績として報いよ。経営者は登用したことはすごいが、自らを褒めるべきではない。
〇部下の失敗は部下の失敗だけではなく、経営者が登用した失敗でもある。自らこそを責めよ。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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