「滅びの美学ですと?」
冷笑と言うにはほろ苦い反応だった。
「そういう寝言を言うようだから、戦いに負けるのみです。要するに、自分の無能を美化して、自己陶酔に浸っているだけではありませんか」
「な、なに・・・!」
「もう沢山です。滅びの美学とやらがお望みなら、あなた一人で、それを貫徹なさればいい。吾々があなたの自己陶酔に付き合ってむざむざ死なねばならぬ理由はない」
「きさま」
喚いた男爵はブラスターを抜こうとして、ぶざまに床に取り落とした。拾い上げて、なおも参謀の胸を狙う。
だがそれより早く、複数の銃から放たれたエネルギー・ビームが、男爵の身体を貫いていた。
(解説)
賊軍のフレーゲルは死なばもろとも、一騎討ちを挑もうとしていたが、ラインハルトの将校は誰も相手にしようとしなかった。そしてとうとう、部下からも見捨てられたというものである。
ここでいう滅びの美学に酔っている経営者は何故かいるのだ。しかも、その経営者は「滅びだ」と一ミリも感じていないことが問題でなのである。
経営者と従業員の最大の違いは何か。前者は夢で食っていける人種だ。後者は金をもらわないと生きていけない人種である。するとどうなるか。経営者は自分のプライドだとか、とにかく人に使われたくないという単なるわがままを大切にし、自分の考えは正しい、間違っているのは自分の技術を受け入れない社会が悪い、と言いだす。それが彼らの美学なのだが、そのような考え方を変えない限り、ビジネスが成功するわけがないから、借金漬けになったり、そもそも売上が立たずに、そのうち給料未払も起きえる。必ず労基が何度もやってくる。
こんな経営者に運悪く出会ってしまったら、ひそかに去るのが一番だ。大きなことを言いだす経営者には、それなりにニーズがあって、とっかえひっかえ、新しい人が身の周りにやってくる。その経営者の本当のことを知らないからだ。それで、誰も定着しない。
まさに自分の「無能を美化して自己陶酔に浸っている」だけなのだが、引導を渡してやる役目を担うのもばかばかしい。
その経営者を反面教師として、美学に陥らないことをお勧めする。その美学とは、つまりくだらない「こだわり」と言う奴だ。柔軟性を持たないと、生きられない時代になっている。今までのやり方に決してこだわってはならない。それが滅びの美学になってしまうからだ。
(教訓)
〇今までにこだわるな。滅びに通ずる。
〇無能を美化して自己陶酔に浸るな。つまり自己を過信するな。大どんでん返しはそうそうない。