宮本武蔵に学ぶ、
「兵法にあって、何を表、何を奥ということができようか。いざ敵と打ち合う時になれば、表で戦い、奥で斬るなどというものではない。」
「我が兵法を人に教える場合には、初めて兵法を学ぶ人には、その人の技量に応じて、早くできそうなところからまず習われ、早く理解できるような道理を先に押して、理解しがたい道理については、その人の理解力の進んできた頃合いに従って、次第に深い道理を後に教えていくよう心掛けている。」
「この兵法の道にあっては、何を隠し、何を公にすることなどあるであろうか。」
「我が一流の兵法にあっては、太刀の使い方に初心も奥義もない、極意の構えなどということもない。ただ心の正しい動きによって兵法の得をわきまえることが最も肝心なのである。」
(解説)
誰に対しても普遍的な秘伝とか極意なんてものは有りはしない。剣での人の斬り方だって、その人の体型、体格、筋肉のつき方等、人によって、その人にふさわしい極意があるだけだ。
家庭教師をしていても、この問題はこう解くのだといったところで、身につく人と身につかない人がいる。解法よりも教え子の身につくためにはどう教えるかの方が重要だったりする。どんな極意も秘伝もそれを学びたい人によって、カスタマイズしなければならない。
不動産投資や証券投資なんて、秘伝や極意の典型例で、抑えるべき基本はあれども、投資するタイミングと売却するタイミングの問題だけだ。どちらかというと抑えるべき基本は、いい物件を探すというよりは、あまりにも無知なために、ダメ不動産・ダメ投資先を購入しないように、いかに騙されないかを知る方が重要な世界だ。それが極意や秘伝と言ってしまえばそうなのだが、失敗しない方法よりも成功の方法を知りたいのが人間というものであって、それこそがお金を払っても手に入れるべき極意や秘伝なのだ。別にコンサルタントが上手くいったときの方法なんて聞いたところで意味がない。少なからずその極意や秘伝にはあなたが儲けられるような再現性はない。
極意や秘伝というものは、誰から聞いて身につけるものではない。自分で探し求めて、自分の力で身につけるものだ。それゆえ、武蔵の二天一流は、流派にはならなかった。秘伝や極意を教えます、で金儲けをしなかったからだ。
また、実践主義でありながらも、初心者には技量に応じて教え、レベルに従って、次第に高度なことを教えて行けと説いている。決して突き放したような態度ではない。
我々もビジネスを始めて、最初から難易度の高いウルトラCばかり狙っていては上手くはいかない。自分の力量や組織の力量に応じて、最初は易しいところから始め、次第にレベルアップしていき、次第に顧客からの高い水準の申し出を次から次へとこなしていけるようになっていく。
従業員教育もまた同じ。実務に耐えうる最低限の技術を身につけさせ、後は実戦で鍛え上げ、その人の能力を余すところなく、引き出してやる、能力を引き出してやるための教育。点数が足りないと、能力を封じ込め、さらに斬り捨てるのではなくて。斬るのは敵のみ、教育を受ける人を斬り捨ててどうする。それが二天一流の教育法なのである。
[教訓]
〇極意や秘伝は誰からか聞いて身につけるものではない。自分で探し出して身につけるものだ。
〇最初から難しいことをやるべきではない。自分たちの力量に合わせ、簡単なことから始め、レベルに応じて、より難易度の高い申し出をこなせるようにしていけばよい。レベルが上がっていけば、自然とそういうお客様からのお話が来るようになってくる。