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リーダーの覚悟の決め方

織田信長に学ぶ、

明智光秀の軍勢は、信長の宿所本能寺を包囲し、兵は四方から乱入した。信長が「さては謀反だな、誰の仕業か」と問いただすと、森長定(蘭丸)が「明智の軍勢と見受けます」と答えた。信長は「是非に及ばず」と言った。

(解説)

「是非に及ばず」とは「しかたがない。やむを得ない。」という意味である。この後、信長は謀反を起こした光秀にわが身をさらすことを赦さず、火を放って、切腹したという。

信長は、残念ながら、死中に活を求めることはしなかった。戦国時代におけるリーダーの末路を信長は心得ていた。自らやってきたことを自らもやられるということだ。潔く死ななければ、信長とて雑兵に殺される。そうして名もなき兵に首を掻き切られ、光秀の前に自らの首がさらされる。切腹しなければ生き恥をさらし、火を放たなければ死に恥をさらす。そのような生き方を拒絶した。

まさに覚悟を決めた死に方なのだ。現代社会では会社を倒産させたとしても、命が取られるわけではない。死中に活を求めるとは、絶望的な状態の中にあって、活路を見出そうとすることである。あるいは命を捨てる覚悟で挑んでこそ成功する場合もあるという意味に捕えることもできる。

戦国時代では謀反は当たり前だったのかもしれない。自分のところにはないと信長は油断していたのだろうか。明智光秀が信長に反旗を翻した理由は、いまだ争いがあり、定説はない。中には秀吉陰謀説とか家康陰謀説なんて言うのもあったりする。ストーリーとしては面白いが現実的にはどうなのだろうか。光秀が天下人になりたいという気持ちがどこかにあったと考えるのが、個人的には自然だと考えている。その場合、何のストーリー性もないのだけれども。

後は、怨恨説。信長は口も悪そうだし。信長がどこかで光秀につらく当たったのかもしれない。なにか信長のやり方で気に入らないことがあったのかもしれない。信長公記を見る限りでは、そのような描写はなく、明智光秀を信頼し、戦や領土の統治を任せ、さらに上げた実績に対して、報償もしていたかのように記載している。どんなにかわいがっても、所詮は他人の心までは牛耳ることはできない。しかしそれでも組織の長は部下を信頼し、任せなければならないと思う。

どんなことをするにしても、リーダーは覚悟をもってしなければならない。そのときに最善だと思われる意思決定をするのだ。その結果、悪い方向に出たとしても、それこそ「是非に及ばず」と言う覚悟だ。天下統一まで今一歩だった信長。その信長の功績があってこそ、秀吉や家康が天下人となれたのだ。そして彼らはまた、信長という勝ち馬に乗れたからこそできた偉業なのである。

[教訓]

〇死中に活を求めよ。死ぬ気でやれば何でもできる。

〇リーダーは覚悟を決めろ。

〇勝ち馬に乗れ。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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