織田信長に学ぶ、
坂本の町に入った信長軍約3万は、すぐさま町に火を放った。さしもの繁栄を誇った坂本の町も、たちまち炎に包まれた。まず民家が燃やされ、続いて町中にある延暦寺の堂舎、さらに郊外にある日吉神社にも放火された。信長軍は坂本を焼く猛火を尻目に延暦寺目指して山を登った。
信長の武将たちの中には、この焼き討ちに批判的な者もいた。佐久間重盛が焼き討ちをとどめようとしたとされているし、秀吉は殺戮を行わず、道を開けて逃してやった僧俗も多いと言われている。
しかし近年の発掘調査によると、山上の延暦寺後にはあまり焼かれた後は存在しないらしい。どうやら大量虐殺が行われたという説は、誇張が過ぎるのではないかという指摘もある。
信長の本心としては、天下に君臨し、時には天皇をしのぐ権力を振りかざし傍若無人の振る舞いや、仏法を説くことを忘れた、現を抜かす教団に、信長が天に代わって鉄槌を下すという側面もあったのではないかと言われている。
また、天皇からも王城の鎮守殲滅に対する抗議はなかった。そして延暦寺・日吉神社は、建物が焼かれただけでなく、その存在すら消された。
(解説)
時には部下に何と言われようとも、自分の思いを果たさなければならないことがあるのだ。そもそも浅井・朝倉を庇い、敵対したことが、そもそもの発端である。どう見てもこの時の比叡山延暦寺を取り仕切っていた者は、信長の主張を汲み取ると生臭坊主だと思うのだ。
リーダーの行いを諫める部下がいる組織も素晴らしい。そして秀吉等は自らの判断で温情をかけた。こういった部下がいることもまた素晴らしい。これがときによっては、信長に対する世間の批判を少しでも小さくすることにつながったかもしれない。それは結果論でしかないのだが。上司思いの部下の独断専行にはときには目をつぶる必要があるということだ。
信長には信長なりの正義や理念がある。それが世論を顔色を窺いながら、行動をとるのは民主主義政治には不可欠なことだが、民主主義を会社内に持ってくる必要はない。ときには、自分の論理を自分の信念に従って押し通す必要はある。そうでなければ、強いリーダーシップは発揮できないのだ。もちろん独断専行がいいわけではない。この辺もまた、バランス感覚が必要なのだと言えるだろう。
[教訓]
〇バランス感覚を持ちつつも、自分の信念を貫け。
〇自分に批判的な部下がいる組織は素晴らしいと思え。
〇部下の諫めも耳を傾けろ。
〇ときには、部下の独断専行も目をつぶらなければならないことはある。全ての自分理念を押し通すことが必ずしも会社にとって正義ともいえないこともまた心得よ。