織田信忠に学ぶ、
「退去なさいませ」と進言した者もいた。しかし信忠は、「これほどの謀反だから、敵は万一にも我々を逃しはしまい。雑兵の手にかかって死ぬのは、後々までの不名誉、無念である。ここで腹を切ろう」と言った。神妙な覚悟は痛ましいことであった。
信長は松野平助を召し抱え、相応の所領を与えた。その松野は遠方にいた。斎藤利三が「早いうちに出頭して、明智殿に挨拶なさい」と言った。しかし松野は「ありがたくも過分の知行を頂きながら、御用の時に参陣できなかった。その上なお敵に降参して、明智を主君として敬わねばならぬのは無念である」といって、信長の後を追って切腹した。本当に「道義に比べ命は軽い」というのは、このようなことを言うのである。
(解説)
実際、光秀は謀反を深く隠していた。つまり信長を倒すということを隠していたため、逃亡を防ぐ手立てはしていなかったという説もある。現に信長の弟である長益はひそかに忍び出て安土まで逃れた。信忠も少し、決断が早すぎたようだ。そしてあきらめも早すぎた。それ以上に雑兵に切られる不名誉を嫌ったと言えよう。
プライドさえ捨てれば、命は長らえられるし、命が長らえられれば、日本史すらも変わったのではないかと思える。信忠はそれだけの人物だったのではないだろうか。
信長公記の言葉で、これだけは否定したいことがある。「道義に比べ命は軽い」とあるが、「命より重い道義などない」。起業家はまず生きることを最初に考えるべきだ。お金が返せなくて、生命保険でお詫びするとかもすべきではないし、誰から、烙印を押されても、決して起業家であることをあきらめてはならないという意味での起業家として「生きること」である。
不死鳥のように復帰し、人にビジョン(将来のあるべき姿)を見せ、一般人に仕事を与え、その仕事の対価としてお金をばらまくのだ。それができるのもまた起業家である。自分のプライドを重んじて、命を簡単に散らすべきではない。唯一守るべきプライドは、誰から否定されても「自分はまだやれる」との思い込みであろう。
逆の立場から考えて、命をも捨て去ってくれるくらいの気持ちのある、パートナーや部下を身の回りに置けるかどうか。本当に命は散らさなくていい。つらいときにも共に歩んでくれる人かどうかで選ぼう。ただその時は、起業家の方がつらい思いをしなければだめだ。起業家は少し資産があるから、食いつなげることができるが、ついてくる人がそうでない場合は、その資産をついてきてくれる人に分け与え、最低限の生活の保障をすべきだ。今、売上が上がらないから払えない、そういう人物は起業家ではない。単なる守銭奴である。この人について行くかどうかは、きちんと身銭を切れる人かどうかで選ぼう。
[教訓]
〇急いては事を仕損じる。
〇起業家は変なプライドは捨てた方がいい。
〇命に勝る道義はない。
〇起業家は身銭を切れ。ついてきてくれる人たちの生活を保証しろ。