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政府のお墨付きがあるとビジネスにはプラス

織田信長に学ぶ、

足利義昭は「これからは織田上総介信長をひたすら頼りにしたい」と言い出した。信長は、今もって我が両国と京都とは他国に隔てられているが、その上この信長は微力ではあるけれども、天下のために忠義を尽くそう、と決心し、命がけで義昭の頼みを引き受けることにした。信長はこうなったら少しでも早く入京しようと決心した。

(解説)

まずこの時の時代背景を述べる。信長が稲葉山城を占領し、城の名前を岐阜城とした。そうして長年の目標だった稲葉山城と美濃を攻略し、上洛の動きに出る。足利義昭に連絡を取るが、この時期、義昭が最も頼りにしていた大名は朝倉義景と越後の上杉謙信であった。しかし義景は一向一揆の動きが不安で腰が上がらず、謙信も本庄繁長の謀反や武田信玄との対立で上洛どころではなく、そうこうしているうちに、三好三人衆に担がれた足利義栄が第14代の将軍に就任した時期であった。

また、上洛とは京都へ入ることであり、天皇や室町将軍が在住する京都に自らが軍勢を連れて京都入りすることは、室町将軍を保護する立場となり、大きな権威をもたらす。つまり政治的影響力を高めることとなる

信長が「我が両国と京都とは他国に隔てられているが」と述べているが、六角氏が城を捨て、それまで従っていた近江の国衆たちが次々と信長に下り、京都への道を遮るものがなくなった。ここで、一度岐阜に滞在してもらっていた義昭を迎え入れ、信長と合流した。この当時織田信長と言うなじみのない人物を京都に向かい入れるにあたり、正親町天皇は信長とコンタクトを取り、信長に天皇の命令を報じた文書を与え、勢力拡大を期待する旨の応援メッセージを送っている。

時代背景の説明が長くなったが、要するに、信長が上洛したい大義名分と、将軍職に就きたい義昭の相互の利害が一致したと言える。ビジネスを行う上では権威が利用できるならした方がいい。著名人のサポートを得られれば心強いが、お金がかかる。色々な方法はあるだろうが、比較的権威付けにいいのが、政府系金融機関から資金調達をしていることだ。また、経済産業省のお墨付きも良い。経営力向上計画の認定を受けているとか、補助金をもらったということでもいい。なんだそんなことと思うかもしれないが、やはりお国のブランド力は凄い。また、起業家であれば、著名な個人投資家や、有名どころのベンチャーキャピタルに出資してもらったということでもいい。些細なことのように思えるが、権威のある第三者から評価を受けたということが重要なのだ。話のネタにもなるし、自信もつく。

[教訓]

〇ビジネスは権威を利用できるならした方がいい。

〇政府関係機関からの評価はもらっておくに越したことはない。お国ブランドは凄い。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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