織田信長に学ぶ、
「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。」
(解説)
戦国時代であるから、この言葉にさらに重みを感じる。必死に生きなければ、往生はできない。そういう信長ですらも、志半ばに人生が終わってしまった。
長生きしても晩年を汚す奴もいるから、志半ばであったとしても、信長の偉業はさらに輝いてみえる。江戸幕府を開いた徳川家康よりも、織田信長の人気が高いのは、ある意味で結果が出せなかったこともあるだろう。その分、織田信長が生きていたら日本はこうなったに違いないと人々の想像を膨らますことができる。われわれの勝手な妄想が、より信長を高見へと持ち上げるのだ。歴史ゲームも信長の野望だから売れるのであって、家康の天下統一だったらここまでの人気ゲームにはなっていないだろう。
必死というのは、人それぞれ定義が違うし、自分だって必死に生きているかと言われれば、正直自信がない。必死の許容度が異なる。仮に命を削るほどの、と定義をしてみると、学校でいじめに耐え、耐えきれずに命を絶つ子、会社のパワハラに耐えられず命を絶つ人、ブラック企業で土日なく、徹夜は当たり前の労働環境に追いやられ、責任感が強く過労死してしまう人はまさに必死ということになるが、こういう人たちに対しては、とにかくそんな責任感なんていらないから、早く逃げて欲しいと思う。他人のために自分の命を散らすほどもったいないことはない。
例えは異なるかもしれないが、ポーランドのキュリー夫人は、放射能の研究やラジウムやポロニウムを発見し、科学(化学と物理学)の発展に大いに寄与したが、放射線被爆が直接の死因だっただろう。その割に66歳まで生きたから、思ったよりも短命ではなかったのかもしれない。ただ命を削ったことは確かだ。思えば東日本大震災の時の福島原発で消火活動にご尽力いただいた方も命を削ってしまったが、彼らのおかげで我々の被害が少なかったことを思うと、感謝してもしきれない。
命を削るほどとは言えないが、起業家は日々ビジネスに従事し、休みや夜なんて考え方もないくらいに必死になっている人もいるだろう。他人から強制された労働では、いかにも命を削っている感じがするが、自主的にやる仕事であれば、必死になったところで、それほど命を削っているほどでもない。
必死になることよりも、我々は必死になれることを探す方が先決ではないだろうか。命を削ってもいいほどに真剣になれる、自分自身のビジネスというものを。この時のビジネスは時間の経過も忘れ、休みを取らなくても平気になるものだ。土日休みたいとか、徹夜はしたくないというのは、あなたのビジネスでないからだ。本気になれないビジネスはやっていても意味がない。もちろんリフレッシュは必要だが。
[教訓]
〇必死になれる、自分のためのビジネスを見つけて取り掛かれ。
〇人の仕事に、命を削るほどの必死さなどいらない。逃げたきゃ逃げた方がいい。