「われ、はじめて西郷を見る。その人物、茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。もしバカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろう。」
(解説)
西郷隆盛と坂本龍馬が初めて出会ったのは1864年8月中旬頃だったと言われている。上記台詞は西郷隆盛に会って、その感想を勝海舟に伝えたときのもの。この後で、龍馬は自分を撞木(しゅもく)、西郷を鐘に喩え、木(自分)が小さすぎたのが残念だったと言っている。なんと龍馬の謙虚なことか。
これに対し、勝海舟は「評される人も評される人、評する人も評する人」と語っている。之を観るに、ある人を批判的に語る人間は、それを評される方と同等レベルにすぎないということだ。人を安易に評価し、公言しない方が良いと思われる。
「バカなら大きなバカ、利口なら大きな利口」とは、ほめているやらなにやらだが、こういう極端な人間こそが、社会を背負って立つにふさわしい人物だと言える。選挙で親の地盤を継いだとか、試験で高得点を取った奴が社会をコントロールしてる今って?。だから社会なんて一向に良くならない。
龍馬の西郷評には、西郷流のリーダーシップを感じる。要するに相手に合わせられるということだ。自己主張をして自らの考えを貫くのも良いが、時と場合によっては奸計も用い、強硬派でもあり、調整役を務められる西郷どんもなかなかの魅力あふれるリーダー像である。
一度会っただけで、人を見抜ける龍馬の眼力も見事と言える。眼力を持つためには、より多くの人に出会って話したり、関わったりすることが大切である。要は場をこなすこと。何年もある人の本質に気づかないと、永遠に上手く行かないビジネスに無駄にかかわってしまうことになる。本当に誰と出会うかで人生は決まるから、無意味な奴は即座に切ることを心がけて、無意味な時間を減らすことが大切である。
[教訓]
〇人を即座に見抜ける眼力を見につけるには、人と会い、関わる場数を踏むことである。
〇無駄な奴は即座に切れ。人生はそれほど有り余るほどの時間はない。時間の無駄だ。