汲黯・鄭当時の賢人でも、勢力があれば賓客は十倍になり、勢力がなければみな離散してしまうのである。まして普通人においてはなおさらのことであろう。下邽の翟公(テキコウ)はこう言っている。はじめ翟公が廷尉であったとき、おしかけてきた賓客が門に満ちた。職を免ぜられると、門外に雀羅(スズメをとる網)を張れるほど(人の出入りがなくなった)であった。ふたたび廷尉になると、賓客がまたおしかけようとした。そこで翟公はその門に大書した。
一死一生、すなはち交情を知り
一貧一富、すなはち交際の実態を知り
一貴一賤して、交際の真情を知る。
と記した。汲黯・鄭当時についてもこのことは言える。なんと悲しいことではないか。
(解説)
要するに、有名になったり、お金持ちになったりすると、みんなが寄ってたかって会いに来るが、問題を犯したり、あるいはお金がすっからかんになったりすると、途端に誰も会いに来なくなる。連絡をしても、今は忙しいとか、音信不通になったり、無視もされる。
前者では、善人呼ばわりもし、尊敬もされ、ごまをすられる。しかし後者では、悪党や詐欺師呼ばわりされる。さらに悪口まで言いふらされる。
どこまで行っても、周囲の人間は卑賤である。まあ世の中そんなもんだ。一時期一世を風靡しても、ああ、あの人は性格悪いからね、何て言われてしまう。
これを見るに、どんな人と付き合って行ったらよいかがよくわかる。本当に苦労をしているとき、あるいは困っているときに助けてくれたかどうか。それに尽きる。金があるときはせびりに来るだけだ。決して人気があると勘違いしてはならない。あるいはその人に成功のノウハウをもらいに来たり、あるいはそのブランドを使って、こちらに何か利益を誘導できるものはないかと、そんな意図で近づいてくる。そういう奴は、儲からないことが分かったら去っていく。だからどっちみち大した人脈ではないのだ。だから、一度自分がダメになったときに、相手がどういう態度をとるかでふるいにかけると良い。
本当の人脈とは、自分が何も与えられないときに、何かを与えてくれる人だ。それ以外は人脈でも何でもない。ただのゴミだ。
[教訓]
〇自分が困っているとき、最悪なときに助けてくれるのが本当の人脈である。
〇自分が有名になったとき、お金持ちになったときに来る人材はゴミである。