世界の歴史を題材とした起業家応援メディア

経営者にならないと美味しくない世の中に

「人を臣とするのと人に臣とせられるのと、また人を制するのと、人に制せられるのとは、往きと還りほど違っているのです。」

「大事を行うものは小義を顧みず、盛徳あるものは辞譲せず。」とか、村里にもそれぞれ特徴があり、百官も各々任務を同じくしないのです。だから小事にもこだわって大事を忘れるなら、後から必ず害があり、狐疑して逡巡するなら、後から必ず悔いがあります。

安泰も転じて危険とすることができ、危険も転じて安泰とすることができます。計らいによって安危を決められなくては、聖智も貴ぶには足らないのです。

(解説)
趙高と胡亥(秦の二代皇帝)のやりとりである。第一段目は、まさに皇帝になるのと臣下になるのとでは全く異なることを言っている。ビジネスにおいても、経営者(雇い主)になるのと、従業員(雇われ人)になるのとでは全く異なる。景気が良く成れば、経営者の方が良いだろうが、景気が悪く成れば圧倒的に従業員の方が有利である。景気が悪くなった場合でもすぐには従業員給与は下げられないし、ましてや払わないわけにはいかない。経営者は会社の業績が良いときには無限大だが、業績が悪化した場合、自分で受け取れない場合もある。もっとも従業員を犠牲にして自ら助かろうとする経営者もいなくはない。近年では、もはや労働基準法がどうこうなんていう余裕がなくなってきた会社も少なくないだろう。これからは従業員受難の時代がやってくると思われる。雇い主にならないと永遠に裕福に生きられない時代だ。

第二段目は、第二代皇帝になった胡亥が、最初は皇帝に即位するのを遠慮していたのを、一生懸命李斯が勧めている台詞である。小さなことの義理なんてどうでもいい。さらに徳があれば、辞退することはないという。仮に小さなことにこだわってしまったら、後から問題が起こる。そして悔いも残る。据え膳食わぬは男の恥、まあそんなところだろう。経営者には必要な考え方かもしれない。

第三段目は、安泰だと思ってもいつ何時困難が押し寄せるかもしれず、危機的な状況だと思っても、逆に安泰にすることも可能だという。そして今を安泰とするのか、危機的な状況だとするのかは、世間の波にさらわれてなるようになるのではなく、自ら今を安泰にすることができなければならない。自ら決めるという事だ。そうでなくては経営者ではない。世間が不況だから、国に何とかしろ、とはおおよそ経営者の考えることではない。不況の時、以下に儲けるかを考えるのが経営者である。

[教訓]
〇雇い主にならなければ永遠に報われない時代になる。
〇小さな義理よりもまずは成功を。
〇安泰な状況も自分で作れ、経営者は、世間が不況だからと言って国に依存するな。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
SNSでフォローする