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経営者は部下のちょっとした悪事には目をつぶれ

籍福はまず魏其候を慶賀し、さて悔みを述べて、「あなたは生まれつき善人を愛し悪人を憎まれます。いま善人たちがあなたを褒めたので、そのため丞相となられました。しかしあなたは悪人を憎まれます。悪人は非常に多く、彼らは反対にあなたをそしろうとしているのです。あなたがもし善悪共に包容できるなら、幸いは永く続くでしょうが、さもなければ、たちまち譏られて、位を去らなければならないでしょう」と言った。

灌夫とその家族が処刑された。その後しばらくして、これが魏其耳に入ると、魏其は怒って風病を病んだ。食事をとらず、死のうと思ったが、ある方面から、主上に魏其を殺す意向のないことを聞くと、また食事をとり、病を治療した。朝廷の評議は彼を殺さないことに決まった。すると流言飛語が伝わり、悪口となって主上の耳に入った。そのため罪の判決を受け、十二月晦日をもって棄市(さらし首)にされた。

(解説)
前段は、魏其候竇嬰に対して籍福が言った言葉である。善人を愛し、悪人を憎むのは生まれつきであって、善人を愛すれば、その善人からは称賛され、出世することができた。しかし悪人を憎んだため、その悪人からそしられ、位から外されることもあるだろうと、アドバイスがあった。

程度問題なのだが、少しの悪ぐらい見逃すくらいでないと、上の人間は務まらない。誰しも心には悪が潜んでいる。もちろんその悪によって、風紀が乱れたり、ルールを大幅に行く脱するようになってしまえば、目立つから、それを見逃していることが罪になる。清濁を併せて呑むくらいの器量がリーダーには必要である。その少しくらい悪い奴らが、自分のことを陥れる可能性だってなくはない。ちょっとしたことを見逃すだけでも、その少しくらい悪い奴らは、まあ、少しくらい悪いことをしているという自覚もあるから、見逃してくれていること自体に感謝する。繰り返すが、少しくらい悪い事と言うのは程度問題であり、社会規範や法律違反はもっての他である。ちょっとした事の積み重ねが、気のゆるみを生み、社会に迷惑をかけるようなコンプライアンス違反につながってしまうこともある。

少しぐらいの悪を見逃さずに、杓子定規に善人を愛し、悪人を憎んだ結果、そのちょっとした悪い奴らに、色々良くない噂を流され、その結果、死罪と言う目に遭ってしまったわけだ。後段にある流言飛語というのは、良からぬ噂が立って、それがデマ、つまり世間に広がるいい加減な噂にすぎないのに、いかにも本当のことになってしまい、自分にとって極度のデメリットになることである。清濁併せ呑むくらいのちょっとした悪い奴らを飼いならすのも、経営者として重要な仕事である。但し、目の余るような悪いことをそのままにしていてはいけないことには注意が必要だ。

[教訓]
〇経営者は、清濁併せ呑むくらいの器量を持て。
〇何でもかんでも悪いことを取り締まるな。
〇ちょっと悪い奴らをコントロールするためには、弱みを握るのが良い。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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