『聡き物は声なき声を聴き、明あるものは形なき形を見る』と申します。
『毒薬は口に苦いけれども、病に効あり。忠言は耳に逆らえども、行いに利あり』と申します。
『大将軍は号令が明瞭、敵に当面して勇敢、常に士卒の先頭に立ち、休憩して宿泊する際、井戸を掘ってまだ水が出ないときは、士卒がみな水にありついた後でなければ飲まず、軍が退却するときは、士卒がみな渡河してしまわなければ渡ろうとしない。皇太后より賜る金や帛は、ことごとく軍吏に分け与え、古の名将と言えどもこれ以上ではあるまい』と申しました。
(解説)
淮南王劉安が部下に言われた言葉である。第一段目は、「賢い者は聞こえない声を聴き、見えないものを見る」と言う意味である。天才と凡人の違いがある。凡人は、言われなければわからない。見えない者もわからない。成功したものでなければ評価しない。要するに、田だの馬鹿だ。天才は違う。言われないことも察しする。いわゆる行間を読める。そして見えないものを見ようとする。だから何かを発見できる。成功していないことを成功させることができる。もちろん失敗もするだろう。
第二段目は、良薬口に苦しとは聞くが、毒薬は口に苦いという。薬というものは病を治してくれると思っているだろうが、中には症状を緩和させているだけにすぎないものもある。何よりも、副作用というものが確実にある。良い影響を与えている反面悪い影響もまた与えている。さて、ここでは前者が例えで、後者が本当に言いたいことである。要するに、小言は耳が痛いだろうけど、聞くといいよ、ということだ。経営者になると自分の居心地が良い組織を作ろうとする。それは決して間違ってはいないのだが、イエスマンばかりを寄せ付けてしまう事になる。そこで経営者がやっていることに対して誰も文句を言わなくなる。お山の大将の末路は悲惨だ。誰も何も言ってくれないから、間違っていても暴走してしまう。だから人の忠告は聞こう。聞くに値しない忠告であれば聞かなければいいだけの話だ。中には無責任だから、言っているだけのこともある。いわゆる対案なき批判だけの野党の言葉のようだ。それは無視しよう。批判だけならだれでもいえる。
第三段目はリーダーが率先して動き、リスクを負い、そしてリターンは最後である。理由の如何を問わず、損失が出るのであれば役員報酬はなしだ。それが航空会社、何割か減らしただけで国に助けを求めるとは、おかしくないだろうか。まずはゼロにせよ。今までの報酬をまずは全額返却しろ。全財産をまずは戻せ。それでもって初めて国民の血税を使え。無能が。
[教訓]
〇天才は聞こえない声を聴き、見えないものを見る。だから新しいものを創造できる。
〇イエスマンは排除せよ。痛いこと言う奴を周りに置け。
〇経営者は会社に損失が出たら、まずは今までの財産を全部事業に戻せ。役員報酬は報酬ではない、単なる事業からの預かり金である。