「小節を計るものは大名を博すことができず、小恥を憎む者は大功を立てることができない」
「猿が木を離れて水中に入れば、魚やスッポンのように敏捷ではありえない。壁をくぐり抜け建物を飛び移ることにおいて、虎は狐に及ばない。剣客から宝剣を取り上げて鍬(すき)を持たせても、農民に勝てるはずはない。このように、人が長所を捨てて短所を取るなら、聖人であっても、何も成し遂げることは出来ない。」
田単は、・・・王に魯連のことを元上司、爵位を与えようとしたが、魯連は逃げて海浜に隠れ、「私は富貴の身となって人主に屈するより、むしろ卑賤のまま世を軽んじ、思いのままに振る舞いたい」と言った。
(解説)
魯仲連は、斉の出身であり、中国の戦国時代の遊説家である。何が正しい生き方かはさておき、永遠のフリーランサーで、お金のために主君を持たなかった生き方だ。誰からかお金をもらえば、お金をもらっている人に対して批評はしづらくなる。それよりも自由に思想を楽しめた方がいいと考えたのだろう。
まず第一段目は、細かいことをきちんとやろうとしていたり、ちょっとした失敗を気にしていたのでは、大成功を収めることはできないという例えだ。小さなミスは、大きく取り返せばいい。失敗なんてよくある話だ。
第二段目は、長所を生かさなければ、どんなにすごい人でも何もできないと言っている。仕事も不得手なことをやっていてはミスも続出する。だから、自分が得意な事、自分がやりたいことを率先してやっていれば、ミスは少ないと思われる。遠慮せずに、自分が得意でやりたいことをやった方が、パフォーマンスは高い。我慢してやりたくないことをやったのでは、パフォーマンスは落ちると割り切ろう。
第三段目は、まさに永遠のフリーランサーのような生き方だ。時間をある人のために使ってしまうと、お金をくれた人のために働かなければならなくなる。永遠の真理など手に入れられない。思想の自由のために、安定と言う束縛からは離れよ、ということだ。思い通りに思考しなければ創造性も不足する。
[教訓]
〇小さなミスはどんどんしていい、全て大きく取り返せばいい。但し同じミスはくり返すな。
〇得意なこと、好きなことに特化せよ。最大のパフォーマンスのために。
〇永遠のフリーランサーとして生き、思想の自由を手に入れろ。それが創造性を高める。