「あなたは三閭大夫ではござりませんか。どうして、こんなところに来られましたか。」
「世を挙げて混濁しているのに、我一人清く、、衆人がみな酔うているのに、我一人が醒めているので、追放されたのである。」
「聖人というモノは、ものごとにこだわらず、時世と共に、良く推移するものとか。世の中が混濁しているなら、どうしてその流れに従い、その波を揚げられませぬか。人が皆酔うているなら、どうしてその糟を食らい、その上澄みをすすられませぬか。なぜ瑾・瑜の才能を抱きながら、自ら求めて追放されるようなことをするのですか。」
「新たに沐する者は必ず冠の塵をはたき、新たに浴する者は必ず衣の埃を払うとか。誰がその実の正常に垢や埃を蒙るに堪えよう。むしろ長江の流れに身を投じて魚腹に葬られる方がましだ。・・・」
(解説)
屈原が漁父に行き会ったときに交わした台詞である。起業家にはこの屈原のような人物は少なくない。自分だけが世の中の真実を知っていると思い込んでいる。確かにそうなのだろうが、一般民衆のレベルを考えてみたまえ、あなたと同じレベルの人がどれくらいいるのかと。自分の考えがわかるほど、賢いのかと。そうではないのだ。あなたの崇高な考えなんて、理解できないのだ。その中で、一般人はバカだと言ったところで何も始まらない。
それ故、起業家が世の中で成功したいのならば、漁父のような考え方に至らなければならない。「世の中がダメだったら、流れに乗ってその波に乗ればいい。みんなが酔っているのであれば、その上澄みをすすればいい。」しかしそれでも、屈原は納得がいかなかった。その結果、左遷され、あまりにもの悲しみに、石を抱えて川に沈んで自害したという。
[教訓]
〇成功したければ、一般人のレベルにあわせよ。
〇自分だけが真理を掴んでいると勘違いするな。