「いかに力んで田作りしても、豊年満作にゃ及びゃせぬ。いかに励んでお仕えしても、手練手管にゃかなやせぬ」とあるが、誠に空言ではない。女だけが容色でこびへつらうのではなく、男の士官にもそうしたことがあり、昔から容色をもって君に寵愛されたものは多かった。漢朝が興ると、高祖はいたって猛々しいひとであったが、それでも籍少年は諂いをもって寵幸され、恵帝には閎少年があった。この二人は格別才能に恵まれていたわけではなく、ただ予防が艶麗で、君に媚びへつらったので寵愛され、主上と起き伏しを共にした。そして公卿たちは、何か主上に言上したいことがあれば、皆この少年を通じて伝えるというふうであった。
文帝のとき、宮中の寵臣として、鄧通がいた。・・・文帝が報じて太子が即位すると、鄧通は職を辞して家にいた。するとやがて、鄧通は金を侵し、自家で鋳造した銭を国外に密輸出していると密告したものがいた。よって役人に引渡訊問させたところ、数々の事実が上がったので、ついに判決して鄧通の財産を没収し、なおその上に行く巨万の負債を負わせた。
(解説)
真面目に働いても、成功はしない。サラリーマンで出世するのは、手練手管が立派なモノばかり。これは昔の時代から変わりないということか。それにかっこいい男や美人な女ばかりが得をするのである。まあ、そうは言っても容姿で得をするのは男女とも若いうちだけである。いい気になっていると、どこかで足元をすくわれてしまう事もある。
上記例では、鄧通と言う男は美形と言う描写はないが、文帝が夢を見たときに救ってくれた人が服の尻のところに穴の開いた人物であった、それを現実社会で鄧通もそうだった。さらには鄧通(上る道)と言う名前も縁起がいいというところで、文帝から愛された。しかし媚びへつらうこと以外に何の特技もなく、帝が変わったら、ポイ捨てされた。
運がいいというのは、正直、続かない。だから、どんな世の中になっても、大丈夫なように、つまり稼げる実力を身に着けておく必要がある。結局、一度良い夢を見てしまうと、その生活が当たり前のように思ってしまい、さらに、嵌められることになるかもしれない。
[教訓]
〇運は潮目が変わると途端に変わる。
〇どんな時代になっても稼げるように、運の良さだけに頼らない実力を身につけよ。
〇過去の成功にしがみつくな。将来の成功を求めよ。