張耳は趙王歇と共に去って鉅鹿城に入ったが、秦王王離に包囲された。鉅鹿の城内では食料が乏しく兵力が少なかったので、張耳はしばしば使いをやり、陳余の軍を前進させようとした。しかし陳余は秦に敵対するには兵力が少ないと考え、数か月の間進もうとはしなかった。
「私の推測では、進んで撃っても結局は趙を救うことができず。いたずらに軍を皆殺しにするだけである。・・・何の利益があろうか。」
「事態は窮迫している。ただともに死んで信を立ててほしい。後のことは考える必要がない。」
「私が死んだとて、無駄なように思う。」
項羽は全軍を率いて黄河を渉り、ついに章邯の軍を打ち破った。結局鉅鹿を救ったのは、楚(項羽)の力であった。
陳余は領地の三県の兵をことごとく動員して、常山王張耳を襲い、張耳を敗走させた。張耳は諸侯に頼れるものがないと考え、「漢王はわしと旧交はあるが、項羽も強盛でわしを立てて王にした。わしは楚に行こう」と言うと、天文家の甘公が「漢王が函谷関に入ったとき、五星が東井に集まりました。東井は天文で秦の分野に当たりますから、真っ先に秦に入ったものが必ず覇者となりましょう。楚は強盛ですが、秦に入ったのは漢より遅れたので、天下は必ず漢に帰しましょう」と言ったので、張耳は漢に向かった。漢王も三振を平定するために引き返し、たまたま章邯を廃丘で包囲していた。張耳が漢王に謁見すると、漢王は手厚くもてなした。
漢王の三年、韓信が魏の地を平定すると、漢王は張耳と韓信を遣わして、趙の井陘を撃破し、陳余を泜水のほとりで切り、趙王歇を追って襄国で殺した。漢は張耳と立てて趙王とした。
(解説)
張耳と陳余は元々刎頸の交わりと言えるくらいの仲であったが、張耳が趙王と共に秦に殺されようとしているときに、助けてくれなかったことから、段々、隙間ができていった。しかし、陳余の言う通り、そのままでは無駄死にするだけだったことは想像に難くない。
歴史とは面白いもので、生死を共にした張耳と趙王歇、そして陳余はラスボスのような形で漢軍を率いた張耳に殺されることになる。
また、張耳が最後に選んだのは天文家の占いだったわけだが、誰について行ったかで、その後の人生は決まってしまう。敢えて、自分の人生をかけるにふさわしい経営者か、パートナーかどうか、仕事であるかどうかも含めて考え直したいと思わせるエピソードである。勝ち馬に乗ることが重要である。一番いいのは自分が勝ち馬になることだが、中々難しい。
[教訓]
〇人生の成功のためには、勝ち馬に乗れ。経営者、パートナーを見極めろ。