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頂点を極めたら後は落ちるのみと心得よ

役所で厠の中の鼠が糞便を食らい、人や犬が近寄ると、驚き恐れて逃げるのをしばしば見たが、倉に入ると、蔵の中の鼠は貯蔵米を食い、人や犬におびえることもなく、広々とした軒下にいるのを見た。それで李氏は嘆息して言うよう、「人の賢と不賢は、例えば鼠のように、ただいる場所の違いによるだけだ。」

ああ、わしが荀卿から聞いた言葉に『物事は盛大すぎるのを戒めなくてはならない』とあった。わしは上蔡の布衣であり、村里の平民にすぎなかったが。主上はわしの不才を知らずに抜擢して、ついに今日のようになった。いまや人民の位として、わしの上にいる者がなく、富貴を極めたというべきであろう。全ての物事は極限に達すれば衰えるもの、車を引く労役から解放された老馬のように、わが身の行く末がどうなるものか、わしにもわからない。

(解説)
前段は人は生まれて、どこにいるかによって人生は決まるかのようだ。確かにそうだと思う。中々、貧乏人の出で、金持ちになれるとかと言うとそんなことはない。だから、上記鼠の例の如く、貧乏で生まれたか、金持ちで生まれたかがその人の人生に大いなる影響を与えることは間違いがない。

だから、それを評価する方が、注意して人の能力を見るべきだ。履歴書だけですべてその人の能力や才能が図れるわけでもない。優秀な人ほど、劣悪な環境には弱かったりする。それは上記鼠と変わらない。糞便を食らった鼠は、いざという時に強い。糞便を食らったことない鼠は、いざという時に弱い。人は、こいつ、どれくらい修羅場をくぐったんだ、という見方をした方が確実である。もはや右肩上がりの経済状況なんてのは幻想なのだから、これからどうなるかわからないというところにさらされて、それにきちんと対処出来てきた人間の方が使い道が多い。それでも、雇う方のバカは学歴や職歴で見る。何をしてきたかでしか見ない。これからの世の中は過去何して来たかなんて意味がない。これから何ができるかを過去の経歴から読み解いて人を探すしかない。

後段は、何かを極めてしまえば、あとは落ちるだけということ。会社も同じだ。ビジネスにもピークというモノはある。それは産業的にピークだったり、その会社にとってのピークだったりもする。それ故、自分の意志でピークを抑えるという手綱の握り方もある。ピークを迎えないような経営者の努力も必要となるだろう。

[教訓]
〇過去の実績など意味のない時代になる。これからはどうなるかわからない社会だ。そこで勝てる人材は、どんな社会になっても対応可能な人材である。
〇経営は、常にピークを先延ばしせよ。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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