句践が(呉軍によって)会稽山に囲まれたとき、溜息して、「わしもこれで終わりか」と嘆くと、種が言った。「殷の湯王は夏台につながれ、周の文王は羑里にとらわれ、臣の重耳は翟に出奔し、斉の小白は莒に逃亡しましたが、結局、王者となり覇者となりました。これによって見ますと、今の不幸もどうしてまた、にわかに幸いとならないものでもありますまい。」
呉に許されたのち、越王句践は国に帰ると、われとわが身を苦しめて復讐の思いを焦がし、胆をそばにおいて、坐臥するたびに仰いで胆をなめ、「なんじは会稽の恥を忘れるか」と言った。自分自ら耕作し、夫人も自ら旗を織り、食事は肉を二皿にせず、着物は彩色あるものを重ねず、自分を屈して賢人にへりくだり、厚く賓客を遇し、貧者を救い死者を弔い、人民と苦労を共にした。
(解説)
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)とは、復讐を成功するために苦労に耐えるという意味を持つ。
呉王闔閭は、越に侵攻した際の負傷で病死した。それを継いだ夫差は、父の敵を討つため、自らは薪の上で寝ることの痛みでその屈辱を思いだした(臥薪)。それに引き続き、越王句践はいつか呉を伐つために耐え、胆をなめた(嘗胆)。そして会稽山の敗北から20年後、越王句践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍を討ち破った。
成功するために苦労に耐えるという人がどれくらいいるだろうか。おそらく根が軽い気持ちだから、苦労せずに諦めてしまうと思われる。どんなことであれ、復讐に近い気持ちをもって、エネルギーに変えたいものだ。例えば、学生時代にバカにされていたでもいいと思う。いじめた奴を見返してやるために、世間をあっと言わせる経営者になってやる。そういう気持ちを持てば、安々とは物事をあきらめないだろう。根は復讐心を持て。
さて、今の不幸に愕然としてしまって、やる気を失ってしまう人も少なくないが、今の不幸が未来永劫続くわけでもない。夏台も羑里もどちらも牢獄のことだ。特にリーダーは、部下の前で弱音を見せてはならない。ひたすら優れた人からアドバイスを受け、贅沢をせず、自ら動き、貧者を救い、スタッフと苦労を共にする。そういった行いがいずれ、プラスのエネルギーに作用するであろう。不幸に続くのは幸福しかないのだ。
[教訓]
〇執念を貫き、どんな苦労にあっても思いを実現させよ。