あるとき楚の宰相と酒を飲んだが、たまたま楚の宰相の璧がなくなった。宰相の門下の者共は張儀を疑って、・・・みんなで張儀をとらえ、鞭で何百回も、滅多打ちした。・・・その妻が、「ああ、あなたが読書游説などしなかったら、こうした辱めを受けることも無かったろうに」と嘆くと、「わしの舌を見てくれ。まだあるかどうか。」妻が笑って「ありますよ」と言うと「それなら安心だ」と言った。
司馬錯が言った。「そうではありません。『国を富まそうと欲する者は、その地を広むるにつとめ、兵を強くせんと欲する者は、その民を富ますに務め、王たらんと欲する者は、その得を博むるにつとむ』ことがあります。この三つの資格が備われば、王業は、それに従って自然に成就するのであります。」
『大きい功業は傾きやすく、疲れた民は上を怨む』
(解説)
張儀は秦の宰相として、蘇秦の合従策を連衡策で打ち破り、真の拡大に貢献した政治家である。
さて、第一段目は若い頃の話、濡れ衣を着せられ鞭で打たれたが、舌さえ大丈夫なら問題ないと言ったわけだ。要するに弁舌家であったから、喋れれば活躍できる。自分の武器さえ奪われなければ問題はない。例え、その他を失おうとも。どんな状況になっても、自分がこれだというモノだけは死守しろ。これだと思わないものは失うことを覚悟せよ。
第二段目は司馬錯による秦の恵王への言葉である。自社の売上を高めようとするならば、まずは顧客メリットを考えよ、顧客を豊かにすれば、もっと自社のサービスを利用しようとするはずだ。あるオンラインショッピングモールも、登録料で儲けるよりも、彼らに儲けさせることで自社にもっと多くのリターンをと考えるのが筋というモノだ。そうでないから、これ以上拡大しないのである。
第三段目は張儀による楚王への言葉である。会社は売上を高めようと必死になるが、売り上げ至上主義の行く末は、傾きやすい。何故ならば、従業員への疲弊を前提とするからである。その結果、経営者は怨まれることになる。
[教訓]
〇守るべきものだけ守れれば、後は捨てても良いと思え。
〇顧客からふんだくろうと思うな。顧客を儲けさせて、自社へのリターンを増やせ。
〇従業員への疲弊を前提とした売上至上主義に走りすぎるな。破綻する。