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凡人は結果でしかわからない

世間には必ず非常の人物がいて、その後に非常の事業があり、非常の事業があって、その後に非常の功業があるもの。非常であることは、常人の不思議とするところである。従って非常の事業は、常人には最初成功に見通しがつかぬため、誰しも皆恐れるが、成功してみると、天下は初めて安心すると言いたいのである。

昔洪水があって叛乱したとき、人々は登ったり降ったりして居を移し、安き心地がなかった。夏の禹は憂えて洪水を防ごうと、江を決壊し、河を疎通し、深水を分散し、災害を安定し、これを当方の海に放流して長く天下を安らかにしたのである。

こうした勤労に当たるのは、何とただ人民だけであろうか。禹は心に思い煩い、自ら肉体を労し、身に胼胝ができても生毛もなく、擦り切れて皮膚に毛が生えなかった。それ故、立派な興行は無窮に現れ、その名声は今日に至ってあまねく伝わっているのである。

一体賢君が位に即けば、ただ小事にこだわり、法律規則にかかずらい、俗論になずみ、書物で詠習したところに従い、世間の伝聞に倣って、時世に喜ばれようと心がけるだけのものだろうか。必ずや高遠な考えのもとに、大業を創め端緒を垂れ、万世の模範となろうとするに相違ない。

(解説)
非常の人物が非常の事業をする。その結果非常の功業がある。だが、普通の人からすれば、誰もそんな非常の人物が言ったことが成功するなんて思えないから、みんなビビって近づかないが、成功して初めて、非常の人物であると評価する。成功しなければ、失敗者、詐欺師と烙印を押す。成功も失敗も紙一重である。

非常の人物は常人の思いもしないことを思いつく。上記例では、洪水が起こったら逃げるのが常人、この洪水を飼いならしてやろうというのが非常人である。まあ、天才とも言う。まさに天才と気違いは紙一重である。

そして、天才の中でもリーダーとなれる人物は口だけではない。自ら動く。汚れ役も務める。格好つけなんてしていない。天才がリーダーの地位に就けば、教科書に書いてあることはくそくらえ、とにかく大風呂敷を引き、大きく成功しようと試みる。大博打を討つからこそ、大失敗もする。天才は、基本ギャンブラーなのだ。

[教訓]
〇成功と失敗は紙一重。天才と気違いも紙一重。凡人がその違いに気づくのは、成功したときである。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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