文帝の十四年、匈奴が大挙して簫関に侵入したとき、李広は良家の子弟として従軍し、胡を撃った。騎射に巧みで、敵を殺し首を斬り捕虜を捕えることが多かったので、漢の郎となった。・・・かつて行幸に従い危険を冒して武勇を表し、また猛獣を手で撃ち殺したこともあった。文帝は「惜しいことに、お前は良い時世に生まれ合さなかった。もし高祖の時代にいたのであったら、万戸侯等何でもなかったろうに」と言った。
・・・馬に乗り、匈奴の地を踏むと、数千騎の軍が見えた。匈奴は広らを囮の騎兵と思い、皆驚いて山に登って陣を布いた。広の百騎も皆大いにそそれ、馳せ巡ろうとするので広は、「我らは漢の本体から数十里も離れている。今、このような状況の時、百騎で逃げ出したなら、匈奴に追い打ちされてたちまち全滅するだろう。ここにとどまっていれば、匈奴は必ず我らを大群の囮だと思い撃つことはあるまい」と言い、諸騎に進めと命令した。・・・騎兵らが「敵は多数で間近にいます。もし急襲されたらどうしましょうか」と言った。すると広は、「かの虜どもは、我らが逃げるものと思っている。だから、みな倉を説いて逃げないことを見せ、我らが囮だということを敵に思い込ませるのだ」と答えた。はたして胡騎は襲い掛かろうとしなかった。
(解説)
李広とはキングダムの主人公李信の子孫である。それ故、度胸もあるし、人気もあるし、強い。ただ、時期的に大戦がなかったため、どんな勇者でも力の発揮する場所が多くはなかった。そのため、文帝は、時代が時代だったら大将軍になっただろうと言っている。そうは言っても、史記に掲載されるのだから大したものだ。
現代社会において、よく能力がある奴はそのうち出てくるというが、そんなのは幻想だ。能力があっても巡り会わせが必要である。そして本当に自分の才能に気づく機会も必要だ。ほとんどの人がその機会を得ることなく、平凡な人生を送ってしまうのではあるが。ただ、時代や歴史の責任にせずに、コツコツと人生の年輪を築こう。そのうちいいことあるさくらいでいいし。そもそもそんなに大成功するだけが人生でもない。大成功しても、交通事故やウィルスで死んでりゃ、何とも言えなくもなる。しかし、これも人生の巡り会わせだ。惜しまれて去るのは幸せだが、数年たったら、そんな惜しみもどこへやらだ。
もし仮に、自分自身が才能があると思っているのであれば、存分にその分野にチャレンジし、隙間があったら割込みに行き、自分の成功の確度を高めよう。自分を引き上げてくれる人を探すのだ。その位の努力をやらなければ、せっかくの才能は花開かない。普通の人は、そんな努力すら惜しんでやらない。だから平凡で終わる。
また、李広のすごい所は、ご先祖様のDNAというか、度胸である。敵陣近くに小部隊出来てしまったら、みんなビビる。だがそこで、部下に対して「堂々としてろ、相手が勝手に囮だと思って攻めては来ない」と落ち着かせるのだ。もちろんそのようになるところも流石だ。経営者はどんな時代に陥ってもジタバタしない。どっしりと構えているから、部下は安心してついてくるのだ。ちょっとしたことでピーとか、ギャーとか、ヒーとか慌てていたら、誰もそんなリーダーにはついて行こうとしない。
リーダーは何事にも悠然と構えることが必要だ。但し、従業員の生活の保障はすること。
[教訓]
〇自分を引き上げてくれる人を探しに行け。そしてチャンスを掴むのだ。
〇リーダーは何事にも悠然と構えよ。慌てないからみんながついてくるのだ。