世界の歴史を題材とした起業家応援メディア

天命は仕事を呼ぶ、人を呼ぶ

かの四季が後退するように、功を成した者は順次に交代して去るのです。

成功の下には久しくおるべからず。

 

主君が聖で臣下が賢なのは、天下の盛福であります。主君が命で臣下が直なのは国の幸せであります。しかし比干は忠信でありながら殷を存続させることができず、子胥は智者でありながら呉を保全することができず・・・このように忠信・孝子がおりながら、国家が滅びたり、乱れたりしたのはどうしてでしょう。忠信・孝子の諫言を聞き入れる明君・賢父がいなかったからであります。

 

物盛んなれば、やがて衰えるのが、天地の道理であり、進退・伸縮、時と共に変化するのが聖人の常道であります。だから国に道徳があれば出て仕え、国に道徳がなければ退いて隠れるのが良いと思います。聖人も「飛龍天に在り大人を見るによろし」といい・・・

 

欲して留まることを知らなければ、欲するゆえんを失い、有して足ることを知らなければ有するゆえんを失う。

 

(解説)

全段落が蔡沢が応侯に言った言葉。第一段落は、成功者はそのまましがみついてはならない。成功者は、次の成功者のために、舞台を用意してあげるのが良い。もちろん中々成功者になれないのが現実だから、ここでいう所の次の部隊を用意すべき成功者は稀ではあるが、例えば首相をやって、何かにの委員長をやっているのを見ると、いったいいつまで権力にしがみついたら気が済むのかねと思ってしまう。それを周りの人間もよいしょするのだろうが、その周りの人間も品がない。天下りなんて言うのは最たる例だ。サッサと隠居するか、金をもらわずにボランティアでもして置け。きれいに身を引けば、美しい四季のようだ。

 

第二段落は、経営者が聖人で、部下が賢人であれば、会社は栄える。しかし経営者が銭ゲバで、部下がイエスマンだったら、会社は亡びる。特に経営者に意見できる部下と、それに聞く耳を持つ経営者がいれば、会社は未来永劫存続する。しかし経営者は権力を手に入れて満足してしまうのか。このままが心地よいと思うのか。自分の思い通りに事を運ぼうとして、ミスる。

 

第三段落は、栄えればいつかは亡びるのが道理。そのために、時間と共に、変化しなければならない。それが成功者としての務めである。道徳と考えると、今の世の中にそんなものあるのかと疑問に思ってしまうから、ここでは天命と考えたい。自分の天命があると思えば、その天命に従えばよいし、天命が今はないと思ったら、じっとしているのが良いのだ。常にフル稼働しなくてもよいと思う。そもそも天命がないのに動いても、大抵は失敗する。物事には必ず時機がある。飛龍天に在り・・・と言う下りは、聖人が時を得て位に当たれば、良く賢人を見つけて用いるということであって、経営者は、天命を受ければ、その時に必ずサポートしてくれる人が現れるのだ。ある意味、サポートしてくれる適任者がいれば、一緒に仕事をする仲間ともいえるが、そのような人に巡り合えたら、そこで始めることは天命と言えよう。

 

第四段落は、欲望のままに生きるな、欲する理由がなくなるぞ、いつまでも足りないと思うな。足りる理由を失うぞと言うところ。銭ゲバ守銭奴は、こうだからいつまでたっても欲しがるのだ。

 

[教訓]

〇成功したら、その場にしがみつくな。後世に任せ、自分は次の成功をリスクを負って追い求めよ。

〇経営者は聞く耳を持て、モノを言う部下を得よ。イエスマンは率先して切れ。

〇天命に乗っ取って動けば成功する。その時は必ず支援者が現れる。

〇欲するのをどこかでやめないと、求める理由を失う。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
SNSでフォローする