およそ音は人の心に生じ、楽は万物の類に通ずる。それゆえ、声を知って音を知らないものは禽獣であり、音を知って楽を知らないのは衆庶であり、ただ君子だけが楽を知る者とすることができる。君子は声をつまびらかにして音を知り、音とつまびらかにして楽を知り、楽をつまびらかにして政を知り、もって治道を調えることができる。従って声を知らない者は、ともに音を語ることができず、音を知らない者は、共に楽を語ることができず、楽を知れば礼に近いと言ってよい。礼と楽を共に体得した者を有徳者という。徳とは得すなわち体得の意味である。それゆえ、楽をさかんにするのは、もと風を移し俗を変えるためであって、楽器の音を極めるためではない。食饗の礼はもと上を安んじ民を治めるためであって、食物の味を極めるためではない。清廟に鼓する瑟は、朱糸を練って弦とし、胴の底に穴を穿って声を遅くし、独りが唱えて三人が讃歌するのは、音を極めず、余音を遺すためである。大饗の礼に玄酒をたっとび、俎に生魚を盛り、大羹に味をつけないのは、味を極めず余味を遺すためである。されば、先王の礼楽を制するのは、口腹耳目の欲を極めるためではなく、まさに民に教えて好悪の理を明らかにし、正しい人道にかえそうとするためであった。
(解説)
ビジネスはリーダーの心に生じ、楽しさを万民に与える。タスクとかワーク(仕事)を知ってはいるもののビジネス(事業)を知らないのは一般スタッフである。ビジネスはわかっているが、楽しいビジネスになっていないのは、一般スタッフよりはましだが、凡人のリーダーでしかない。真のリーダーだけが楽しいビジネスを展開することができる。真のリーダーは、単なる仕事をビジネスにして、そのビジネスを楽しいものに変えてしまう。楽しさはそのビジネスに関わるスタッフや顧客が味わうことができる。スタッフや顧客が楽しめないビジネスしか展開できない人は、真のリーダーではないのである。
そもそも仕事がわからなければビジネスにならないし、ビジネスを知らなければ、楽しさを付加することもできない。楽しさを知れば、それはいたわりの気持ちと言ってよい。いたわりの気持ちと楽しさをビジネスの中で体得した者が真のリーダー(有徳者)なのである。徳を持って初めて、利益を上げることができる。
楽しさを追求することは必ずしも直接的な利益を追求することではない。楽しさはそこに参加する人たちの気持ちを高めて、会社のビジネスやサービスに対する強いロイヤルティを築くことにある。中長期的には利益となるものだ。つまり直近の利益を極めるのではなく、将来利益を生むであろう資産を遺すためである。直近の利益を遺そうと、今のスタッフに無理を強いたり、顧客の財布から1円でも多く分捕ろうという行動は、資産を失う行為である。そういう奴にリーダーを名乗る資格はない。
[教訓]
〇ビジネスはリーダーの心に生じ、楽しさを万民に与える。
〇真のリーダーは直近の利益を追わず、スタッフと顧客のロイヤルティ向上に努め、将来的な利益を生む資産を獲得しようとする。