それ師の行くや、闘いを好み戦いを楽しみ、独り彊敵を取る者あり、聚めて一徒となし、名付けて報国の士という、気、三軍を蓋い、材力勇捷なる者なり、聚めて一徒となし、名付けて突陣の士という。軽足善歩、走ること奔馬のごとき者あり、聚めて一徒となし、名付けて搴旗の士という。騎射飛ぶがごとく、発すれば中たらざるなき者あり、聚めて争鋒となし、名付けて争鋒の士という。射必ず中たり、中たれば必ず死する者あり、聚めて一徒となし、名付けて飛馳の士という。よく彊弩を発し、遠きも必ず中たる者あり、聚めて一徒となし、名付けて槯鋒の士という。これ六軍の善士にして、各その能に因りてこれを用う。
(現代語訳)
部隊編成は以下のように行う。
(a) 戦を好み、楽しみ、強敵に出会っても平然としている者を選んで報国隊を結成する。
(b) やる気に溢れ、体力があり行動も敏捷である者を選んで突撃隊を編成する。
(c) フットワークが軽く、馬よりも早く走れる兵士を選んで特攻隊を編成する。
(d) 騎射が得意で、百発百中の腕を誇る兵士を選んで奇襲隊を編成する。
(e) 弓の名手で百発百中であり、一発で敵をしとめる兵士を選んで射撃隊を編成する。
(f) 強弩を振り絞る剛力があれり、遠くからでも必ず命中させる兵士を選んで、砲撃隊を編成する。
部隊編成においては、兵士一人一人の能力に応じて使い分けることが大切である。
(解説)
一言で言えば適材適所ということで、これは「人の能力・特性などを正しく評価して、ふさわしい地位・仕事につけること」を表す。しかし、一度たりとも、このような考え方で自分が配置されたことはない。
そもそも大学時代に、自分にふさわしい仕事だと思って、その先に就職できた人はどれくらいいるのだろう。少しでも有名な会社に行けるように頑張っただけではないだろうか。それだから、入社した後で、ちょっと違うから退社なんてことになるのではないか。それを我慢が足りないというのはおかしいと思う。逆にちょっと違うってなぜわかるんだともいえる。そして違うってわかるのだったら、もう少し自分に合う仕事を最初から探すべきなのではないだろうか。
おそらく普通の会社では「適所適材」という考え方でやっているはずだ。会社には万民のために用意された仕事なんて、揃っているわけはないから、まず業務ありきで、そこに「なるべく」ふさわしい人をあてがっているだけだ。適材適所という初めに人ありきで、仕事を用意できるほど余裕のある会社は、相当の大企業だって難しいのではないだろうか。ただ大企業は選択肢が広いことだけは確かだ。
社会全体で見ても、適材適所というのはないだろう。まずは業務ありきなのだから。結局のところ、適材適所という考え方で、自分を生かしたいのであれば、そういった仕事を根気よく探していくしかないが、究極、自分で起業するしかない。でもどんな仕事が自分にふさわしいかなんて若いうちにはわかるわけもないから、縁のあったところで自分にふさわしい仕事を探してみるといいだろう。つまるところ、みんなから期待されている仕事が、その人にとってふさわしい仕事になっていくものだ。
[教訓]
〇適材適所という考え方は起業するしかない。現実は適所適材にすぎない。