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賞罰はタイミングが重要、多寡ではないのだ

賞罰の政とは、善を賞し悪を罰するを謂うなり。賞はもって功を興し罰はもって姦を禁ず。賞は平かならざるべからず。罰は均しからざるべからず。賞賜の施すところを知れば、勇士その死する所を知る。刑罰その加うる所を知れば、邪悪その畏るる所を知る。故に賞は虚しく施すべからず。罰は妄りに加うべからず。賞虚しく施さば労臣怨む。罰妄りに加うれば直士怨む。ここをもって羊羹に均しからざるの害あり、楚王に讒を信ずるの敗あり。

(現代語訳)
立派な政治を行うには信賞必罰の方針をもって部下に臨め。賞をもって手柄を奨励し、罰を加えて法令違反を根絶する。賞は公平に与え、罰も依怙贔屓なく適用しなければならない。賞が与えられる基準を周知すれば、勇者は死力を尽くすべき場所がわかる。刑罰が与えられる基準を周知すれば、してはならないことがわかる。賞は手柄のない者に与えてはならない。その場合手柄を立てるべき人間の不満を買うことになる。罰は罪のない者に与えてはならない。そういう人物に罰を与えると真面目な人間から恨みを買う。羊のスープで国を失った例もあり、楚王のように讒言を信じて滅亡の瀬戸際に立たされた者もいる。

(解説)
羊のスープで国を失ったとは次のような話。戦国時代の中山国王が国中の名士を招いたが、その席の司馬子期にたまたま羊のスープが足りなくなって与えられなかった。他の人にはスープが配られ、自分がもらえなかったことで侮辱されたと感じ、それを根に持った司馬子期が楚の国に行き、楚王をけしかけて中山を攻撃させた。小国の中山は敗れ、王は国外に亡命したという。そんなバカなというところだろうが、逆恨みや思い込み以外の何物でもない理由で何十人の命を落とした事件も日本にはあるのだ。どんなことで恨みを買うかわからない。
これには後日談があり、中山王は逃亡中に臣下にまで見捨てられたが、二人の兵士が近づいてきた。その兵士曰く、「かって、父が餓死しそうになった時、国王は一壷の食物を与えてくださいました・・そのお蔭で父は生き永らえたのです。 父は死ぬ間際に・・『もし、戦争が起きたならば、お前たちは必ずや王様のご恩に報いてくれ』と言い残しました。それゆえ本日、決死の覚悟で馳せ参じました」という。
中山王は一杯のスープで国を失ったが、一壺の食物で二人の勇者を得たのだ。人に物を施すのはその量の多い少ないではなく、その人が困っているときに施せるかどうかが重要なのである。

次に讒言を信じて滅亡の瀬戸際に立たされた話。春秋時代の平王(在位前528年~前516年)の太子に侍従長の伍奢と副侍従長の費無忌のお守り役が付いたが、費無忌はある事件が原因で太子に疎まれ、太師が即位すれば身の破滅を招くと考え、平王に太子と伍奢の悪口を言った。太子は隣国へ亡命し、伍奢と長男は獄死した。伍奢の次男子奢は、難を逃れ隣国の呉に仕えた。17年後に伍子奢は楚に攻め入り、楚の都を陥れ、平王の墓を暴き、父と兄の仇を採った。

[教訓]
〇どんなところで恨みを買うかわからないから、賞罰は公平にせよ。
〇物の施しは多い少ないではない。困っているときにいかに手を差し伸べられるかだ。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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