「それとも・・・馬の敵討ちなんて、ばからしくって・・・引き受けられないとおっしゃるの!?」
「・・・人の価値観をとやかく言う気持ちはない・・・俺にあるのは仕事を引き受けるにあたっての・・・約束事だけだ・・・」
(ストーリー)
テキサス州とニューメキシコ州の州境沿い。ある牧場で愛馬を失った牧場主マイブリッジ夫人がいた。牧童頭が殺され、馬がいなくなる。馬泥棒の仕業と思ったが、警察はあてにならない。そこでマイブリッジ夫人はゴルゴに、馬泥棒の殺害を依頼した。
ゴルゴはまず牧場を見回り、バイクの跡を見つける。それを追って、ニューメキシコまで出向く。ゴルゴはあるバイク屋でオフロードバイクを入手する。マイブリッジの牧場で、馬泥棒の集団が現れた。まだ少年たちだった。ゴルゴは少年から、馬肉の渡し先を聞き出す。
少年たちが黒いライダーと呼ぶ、馬肉の業者を探し出し、ゴルゴは射殺した。
(解説)
「マシン・カウボーイ」の一幕である。マイブリッジ夫人は、ホワイティという白馬を愛していた。「それに、ホワイティはどんな男よりも美しかったわ。無駄のない引き締まったからだ・・・一走りした後の輝く皮膚、浮き上がった血管と汗」とほめまくりである。夫人というからには旦那さんもいるとは思うが、馬フェチ相手に何だか大変な気がする。しかも若い頃は恋もしたけれど馬の方が上とも言っている。旦那よりも馬好きである。
ゴルゴは顧客の価値観をまるで気にしない。そもそもゴルゴの価値感とは、我々の主観的な物とは異なる。だから馬の敵討ちは、そんな主観的なことでも、ゴルゴは狙撃の対象になれば問題はないのである。ただ、ゴルゴのそれが究極的な客観的価値感と言い切れるのかというとそれも異なると思われる。
主観と客観とは、主観は個人の思い込みで、客観は、世間一般の人の見方であり、自然法則とも異なる。それ故、ある人の主観をPRやマーケティング、あるいは情報操作を施すことで客観にすることは可能と思われる。そしてビジネスの成功は何より、自分の思い込みでは失敗する。世間一般の人の見方、客観化ができるかどうかなのである。
たまに自分の思い込みだけで成功する人はいるが、それはたまたま自分の思い込みという主観が、世間一般の見方と合致している運がいい人ともいえる。
[教訓]
〇主観のうちはダメ、客観化できて初めてビジネスは成功する。