「金を得る手段がカネの本質を変えるとは思わない・・・俺はただ依頼の内容が納得できる者かどうかを・・・知りたいだけだ・・・」
(ストーリー)
サミー・ブラウンが、親友のエーベル・バーネットの仇を取ってほしいとゴルゴに依頼した。バーネットはベトナムで捕虜になっていたが、地元からは裏切り者の烙印を押されていた。バーネットは「天国だけが自分の変えれる祖国だ」として自殺した。
標的はカーク・ローレル。バーネットを自殺に追いやり、黒人殺しで起訴されても、証拠不十分で無罪にもなり、今度の知事選にも立候補した。
サミーは「俺のようなものの依頼を引き受けてくれて、本当にありがとう」と言って、警官の銃弾に撃たれた。
(解説)
「黒い肌の狙撃者(前編)」の一幕である。ゴルゴへの依頼金は、サミーが銀行員2人を射殺して得たものだった。血が付いた札束で、ゴルゴはそれを察知した。そこで出た台詞であった。
そもそもゴルゴのやっていること自体が違法行為であるから、違法行為である金は汚いと言ってしまったら、ゴルゴの稼いだお金は全部汚くなってしまう。でも、ゴルゴの言葉にカネというものの本質があるような気がしてならない。
もちろん、違法行為をやって稼ぐことはよくない。しかし違法行為で稼いだお金と合法で稼いだお金のその違いはと問われると、完全に異なるとは言い切れないものを感じる。結構グレーな金の稼ぎ方をしている連中もいるし、そもそもそれなりの地位にある人、いわゆる上級国民は、下級国民ではできない稼ぎ方ができたりもする。違法性が阻却されると言っても過言ではない稼ぎ方であって、貧乏人的にはアンフェアだと言いたくなるようなものである。だからと言って、グレーな稼ぎ方をみんなしようぜ、と言いたいわけではない。
運がいい人、悪い人そういう人たちで社会は構成されている。それを感じながら、お金を稼ぎ、お金を使うことが大切ではないかと思う今日この頃である。
[教訓]
〇お金の稼ぎ方に、キレイ、汚いはない。合法、違法はあるが。
〇汚い稼ぎ方をしたからと言って、卑下することもなければ、きれいな稼ぎ方をしたからと言って自慢することもない。カネはビジネスには平等である。上も下もない。稼いだ量で偉い偉くないもない。