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攻守でリーダーを変えるのもよし。少なからず、リーダーの意識を変えろ。

「・・・というわけで、新しい外交政策には彼は不適任者だと、判断されたんだよ・・・緊張緩和ということさ!彼がいなくなれば、わが代表部も、だいぶ風通しがよくなる・・・」

(ストーリー)
KGBのウラジミール・パブロフと妻のアンナがニューヨークにやってきた。そしてソ連代表部の次席代表レオン・ニコラビッチ・マリクが二人を車で送迎した。

妻はマリクに会話を盗み聞きされていたことを不安に思った。しかしマリクはKGBのニューヨーク支部長であり、そもそもパブロフは、アメリカに亡命した裏切り者のワイリー・ミハイレンコの友人だったということでKGBは目を光らせていてやむなしと考えていた。

KGBはミハイレンコを暗殺しようと計画していた。しかし東西緊張緩和(デタント)の時期であり、ミハイレンコの暗殺はクレムリンの許可が下りていなかった。CIAやFBIはミハイレンコをKGBが狙う恐れがあるということで、ミハイレンコが講義を行うハーバードキャンパス内を厳重に警戒していた。

マリクはモスクワから帰国を命じられた。しかしマリクは作戦実行の名目でパブロフに仕事を依頼した。その結果、CIAの手によって、射殺されてしまう。実はマリクはアメリカに亡命を希望していて、ミハイレンコの暗殺を阻止しようとしていた。

マリクは顔を整形して、名前を変えてCIAで働いていた。KGBのマリクの元愛人が、ゴルゴにマリクの射殺を依頼。ゴルゴは警官のふりをして、マリクを射殺した。

(解説)
「KGBの長い腕」の一幕である。アメリカとソ連は第二次世界大戦後、冷戦に突入、1962年のキューバ危機で頂点に達し、核戦争寸前にまで至った。しかしソ連側の貿易収支の悪化、アメリカのベトナム戦争での疲弊から、ニクソンとブレジネフの間で緊張緩和が進んだ。その後、ソ連のアフガニスタン侵攻でデタントが崩壊する。その後、ゴルバチョフが書記長に就任し、冷戦を終結する政策を取った。緊張緩和には違いないが、この時期はデタントとは呼んでいない。

さて、緊張関係にある状態と、緊張緩和にある状態では、まるで政策は変わる。その時に相応しいリーダー、この場合は中間管理職かもしれないが、人選を変えざるを得ない。むしろ攻撃型と守備型といえるであろう。緊張状態が攻撃タイプ。緊張緩和は守備タイプだ。

会社も攻めを強化する時期と、守りを強化する時期は異なる。攻めを重視する場合には、前のめりでミスも恐れず突き進むタイプ、守りを重視する場合にはミスをしない堅実タイプ。随分性格は異なる。ここで逆のタイプを据え付けるとかなりの確率で失敗するから注意しよう。会社にはどちらのタイプも置いておいた方がいい。

[教訓]
〇攻めるとき、守るときでそれぞれリーダーを変えよ。

この記事を書いた人
経営学博士。経営学は座学より実学をモットーに大学院在学時より、サラリーマンで修業。一部上場企業の財務、メガバンクでの不良債権処理、 上場支援、上場後の投資家向け広報、M&A、事業承継等を経験。 数千の経営者と身近に接することが多く、数多くの成功例や失敗例を見てきた。 一人でも多くの成功者を輩出することが自らの天職と考え、現在は独立し、起業家に対して、ファイナンスやマネジメントまわりのサポートを行っている。 起業家モチベーター。
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