「いずれ軽い知覚麻痺だけでしたら命にかかわることはありませんよ・・・次に麻痺がおこったときに急いできてください!」
「手のしびれが命に関わらない・・・か・・・」
(ストーリー)
刺客に狙撃されたとき、ゴルゴは銃を握れなかった。たまにゴルゴは右手が聞かなくなるときがある。医者に診てもらったが原因不明。恐らくストレス性のものであるということだった。このような時期にもゴルゴは仕事を依頼される。今回の仕事は、リヨンの警察署長、アンドレ・ガストンの狙撃。
もう一つは刺客の狙いが、以前ゴルゴの仕事に巻き込まれて失明した男の復讐。ゴルゴは返り討ちにする。ガストンは、射撃競技中にその音に紛れて、ゴルゴに狙撃された。
(解説)
「喪服の似合うとき」の一幕である。神経性のストレスでたまに右手が聞かなくなるときがある。医者に掛かったら、ギランバレー症候群だのなんだの、結局は原因不明ということで済まされてしまった。その時の医者に言われたのが上記台詞。一般論としては正しいのだが、ゴルゴはいつも命を懸けており、しびれが命にかかわらないということはない。医者に言われた後、つい口走ってしまった。
生きている世界が異なれば、同じ言葉でもその解釈は多分に異なる。普通の生活をしていれば命に別状はなくても、ゴルゴのような仕事であれば、ちょっとした不具合が命を左右する。
ビジネスにおいても立場が異なれば、一方には大したことがなくても他方には大したことがある場合がある。ちょっとした顧客のトラブルは従業員にとっては、大したことはない。少しぐらいペナルティで年収が減るだけかもしれない。いずれにせよ生活に困ることはない。しかし経営者としてはそのペナルティで売り上げが激減し、自分の役員報酬を削減しなければならない羽目にもなりかねない。
だから、一つ一つの事を責任もって最善を尽くす人が必要なのだ。自分にとって大したことないから、全員にとって大したことないとは言い切れない。一つ一つの物事にすべて責任を負わなければならないのが経営者である。
そして、顧客の気持ちを知るためには。顧客の立場に立って物事を考えられる力が必要である。経営者は従業員の立場に立って理解しなければならない。
[教訓]
〇相手の立場に立って理解できれば強い。