「教会は独裁を非難するが、反体制の運動の象徴だったオスカル大司教がミサの最中に凶弾に倒れる・・・そして、あろうことか、軍部は“司祭を殺して愛国者になれ”をスローガンに聖職者を次々と血祭に上げていった」
(ストーリー)
マティアス国防大臣が、大統領夫人を射殺の容疑で逮捕された。更に絞首刑の執行日まで来待、それがクーデター決行の日であるという。マティアス国防大臣は何があっても計画を遂行せよとの命を下していた。処刑の直前に救出しようとの意見もあったが、それに兵力を割いている余裕がない。息子アロンソ・マティアス少佐はそのように考えていた。父の命を救うよりも、腐敗したこの国を救う事の方が大切だと。実はマティアス国防大臣は、ロドリゴと共闘していたが、政権の座に就いたとたん豹変し、私腹を肥やす鬼畜に堕落した。それがクーデターの理由であった。
息子は父に名誉ある死を与えたい。犯罪者としての絞首刑ではなく、クーデターに対する銃殺刑であれば父の名誉は守られると、ゴルゴに依頼した。しかしその依頼は受けることができないと言った。だが、秘密警察長官エステバンの狙撃はすると。息子アロンソは、ゴルゴでも能力的にできないこともあるのかと思った。
いよいよ父マティアスの刑執行の日がやってきた。実は、既にマティアス本人から、自らの狙撃の依頼をゴルゴは受けていたのだ。見えないところからの射撃であった。さらに息子からの依頼、エステバンも直後に射殺した。さらにロドリゴはクーデターに敗北し、自殺した。
(解説)
「13階段の狙撃」の一幕である。南米某国として、国名は定かではないが、その国の歴史のを息子アロンソが説明をし、クーデターのあるチャンスの日に、父親の救出まで考えるべきではないと言っている。
スローガンは、非常に便利で、それを掲げた者が、それを受けたものをシンプルに誘導することができるものだ。上記の例では、反体制のオスカル大司教が民衆の敵のように扱われ、軍部が「司祭を殺して愛国者になれ」というスローガンを立てると、その大司教のやることなすこと全てが、民衆にとって悪いことにされてしまう。本当に国にとっていいことなのかという議論を後回しにして、愛国者の考えることが全て正しいとなる。今の政治にも言えることだが、現状維持が国民の利益、既得権者の不利益が国民の不利益と洗脳されている事実に、国民は気づいていないのだ。国民が既得権者に洗脳されているのである。
ここではあまり政治論を突き詰める気はない。ビジネスにおいて、このスローガンは使える。より詳細を検証せずに、大雑把な一般化で人の動きすらコントロールできてしまう。スローガンが消費者を盲目にさせる。従い、ビジネスにおいても、スローガンを持ち出した方が良い場合がある。
[教訓]
〇ビジネスにおいても、スローガンが消費者を盲目にさせる。