「父よ・・・このフラメンコ・・・私は父は大嫌い・・・意地汚くて、根性が悪くってだめなのよ!! 私は信念をもって生きるためにこの仕事に入ったわ・・・そして、この生活から抜けるため・・・あの父から逃げるため・・・でも父のフラメンコは素晴らしい!・・・マドリッドの繁華街でやっている、アンダルシアン・ナイトなんていうステージ・フラメンコなんか何も感じられない・・・本物は狭い酒場で踊り子の汗がかかるようなフラメンコが最高!!」
(ストーリー)
スペインの伝統を壊そうと共産主義者が胎動し始めていることに、保守派が危機を強めているが、その保守派のグループの要人が暗殺されている。手口は毒針。暗殺者が誰かを含め、始末してほしいというのがゴルゴへの依頼であった。
さて、依頼人の一人であるマリア、その父親はフラメンコの歌手だった。パーティを催すして要人を一堂に会した。ゴルゴが見守る中で暗殺者を探すためだ。ある部屋にナイフを持った男がいた。ゴルゴが倒したがただのコソ泥だった。
また暗殺者をおびき寄せるためにパーティを開催した。そこにマリアの父親が仕事をさせてほしいとやってきた。パーティでフラメンコギターを片手に歌うことだ。その日、屋根の上から、ある男が吹屋で要人であるマリアの上司を狙った。ゴルゴは男を狙撃する。しかしゴルゴはそれは暗殺者ではないという。
ゴルゴは丘の上で歌っているマリアの父親のところにやってきた。マリアが見に来た時にマリアの父親は毒針でゴルゴを殺そうとしたが、その前に射殺した。
(解説)
「死者の唄<シギリジャ>」の一幕である。マリアがゴルゴと一番過ごしているときに、聞こえてきたのがマリアの父のフラメンコであった。大衆受けする者は、偽物とは言わないが本物はない。ビジネスにおいてもあまり大量生産されているものは、本物とは言えない。少なからず通好みではない。だから、あえて面を取りに行く必要なんてない。自分のサービスを深く理解してくれている人が少なくてもいればいいのだと思う。売り上げを上げればいいという偽物の世の中はすでに終わっている。売上重視ではなくて、人の絆重視のビジネスがこれからは尊ばれる。大きな売上は無理かもしれないが、それなりの売上、そこにこそ本物が潜んでいる。
[教訓]
〇売上主義の経営は終わった。浅くて多数の理解者ではなく、深くて少数の理解者に囲まれるビジネスがこれから尊ばれるようになる。それこそ本物というものだ。言葉で表現すれば共感主義の経営というものである。